映画『私はあなたを知らない、』で出会った二人が表現を語る
「感動は、構造ではなく人から生まれる」中野量太監督×早瀬憩が選んだ愛の描き方
2026.08.31 18:00
2026.08.31 18:00
傷つく可能性があっても、愛のある人生を望みたい
──今日はせっかく俳優と監督という表現者二人にご登場いただいたので、お二人の表現論についても聞いてみたいと思います。今、早瀬さんがおっしゃったのは、まさに主観と客観の話だと思いますが、監督は脚本を書くとき、登場人物に感情移入しながら書くタイプですか。それとも、もっと俯瞰した視点から書くタイプですか。
中野 僕は「構造は客観的に。人物は主観的に」と心がけています。今回も構造を組み立てる段階では客観的でしたけど、実際に人物を書きはじめると、どんどんのめり込んじゃって、書きながら涙ぐむこともありました。感動というのは、構造ではなく人から生まれる。構造で泣ける映画は面白くないですよ。

──早瀬さんは、演じるとき、役に入り込むタイプですか。あるいは客観的な視点やロジックを大事にするタイプですか。
早瀬 演じる役とか環境によりますね。朝子に対しては一心同体のような気持ちで臨みました。現場にいないときも朝子のことや夕平のこと、作品のことを考えている時間が長くて。そういう意味でも、今回は主観が強めというか、役に入り込んでいた感が強かった気がします。
──それはなぜでしょうか。
早瀬 初めて脚本を読んだときから、朝子は今の自分の力量では演じきれない役だと思っていました。それで必死だったというのもありますけど。でもいちばんは、朝子だからですね。朝子ってすごく難しい境遇に置かれているじゃないですか。だからこそ、私がいちばん朝子を理解して寄り添ってあげたかった。そのためには、朝子と同じ経験をして、同じことを感じて、朝子として生きるしかないと思っていたから、いつも以上にのめり込んでいたのかもしれません。

──本作を拝見し、愛など知らなければ夕平は静かに暮らせたのだろうかと思いました。お二人は失う痛みを知るくらいなら、愛など知らなくてもいいですか。それでも愛することや愛されることを望みますか。
中野 結局コミュニケーションを絶てば楽なんですよね。そうすれば、傷つくこともないし、面倒くさいことも起きない。でもその分、愛ももらえないんですよね。この物語が始まった時点の夕平はそうやって暮らしていた。きっと夕平みたいな人って今の世の中は多いんじゃないですか。
──多いと思います。
中野 だから、夕平は決して特殊じゃない。どこにでもいる人だと思います。ただ、やっぱり愛されるって幸せなことですよ。僕は、愛されるって「自分が生きていることを教えてもらえること」だと思っている。だから、僕は愛のある人生を望みます。ただ、愛されたいのであれば、時に傷つく可能性があることも受け入れなければいけないこともわかっている。僕はもし傷つくことになっても構いません。そしてこれはあくまで僕の答えであって、正解だとは思わない。愛を避けて生きるのも、一つの選択ですよね。
早瀬 私はこの作品を通して、愛って素晴らしいなと思ったし、愛が重すぎるがゆえに自分を苦しめ、周りを傷つけることもあるんだと学びました。まだ監督のようにいろんな経験を積んでいない私には、どちらがいいかなんてわからないというのが正直な答えです。でも、それが愛と呼べるものでなかったとしても、私は人と関わっていたい。きっとそういうつながりの先に、愛というものがあるのかなってぼんやり考えています。

──では最後に、お二人の中にある「私は誰かに愛されていたんだ」と思える原体験的な記憶について聞きたいです。
早瀬 私が愛されていると感じるのは、母と祖母です。私は中1からこのお仕事を始めたんですけど、その年齢で芸能の仕事をするには周囲のサポートや協力が必要で、どうしても家族に負担をかけてしまう。それに、子どもを守ることを考えたら、そんな年齢から芸能の道に進むことを反対する人がいても、全然おかしくないと思うんです。でも、母や祖母は嫌な顔一つせず私の夢を後押ししてくれた。それって愛がなくちゃできないことだと思うし、常に私の決断を否定せず肯定してくれていることに愛を感じます。
中野 僕はまだ小さい頃、母と兄ちゃんと同じ布団に入っていた風景を思い出しますね。うちは父がいなくて。よく母が布団に入りながら、「この布団は船で、周りは荒れた海だから落ちちゃダメだよ」って遊んでくれたんですよ。何気ない一場面なんですけど、何十年経った今も鮮明に僕の心に残っています。





