「TOKYO POP CHRONICLE」特集 第3回
半世紀愛される東京の音楽が変えたものは?松本隆と鈴木茂が語る、“はっぴいえんど史観”への本心
2026.08.24 18:00
2026.08.24 18:00
伊藤銀次のソロインタビューからスタートした「TOKYO POP CHRONICLE」特集。第3回となる本稿では、前回から続く松本隆と鈴木茂の対談インタビューをお届けする。
日本の音楽シーンに多大な影響を与えたバンド・はっぴいえんど結成の経緯やファースト・アルバム『はっぴいえんど』の誕生、前例のなかった日本語ロックへの挑戦を追った前編。続く後編では、名曲「風をあつめて」やバンドの解散、そして鈴木茂が1975年に発表したソロ・アルバム『BAND WAGON』のことなどについて語ってもらった。
本特集にこれまで登場した3名は、9月26日(土)に開催されるコンサート・イベント「TOKYO POP CHRONICLE」にもちろん出演。このインタビューを読んで、ぜひ来たる1日に備えてほしい。

互いの才能を尊敬し合える稀有なバンドだった
──ファースト・アルバム『はっぴいえんど』がリリースされた1970年当時、周りの音楽仲間からの反応はいかがでしたか。
松本 聴いてくれた人はみんな絶賛してくれました。ただ、ライヴになると「歌がよく聞こえない」と言われましたね。当時はPA機材が悪かったし、何よりドラムとベースの音量が大きすぎた(笑)。
鈴木 当時はボブ・ディランがアコースティックの弾き語りからロックバンド編成へ転向したことが、当時のフォーク系ミュージシャンに強い衝撃を与えていたんです。高田渡さんや遠藤賢司さんたちが、URCレコードという同じレーベルにいた僕たちを見て「自分たちのレコーディングでも演奏してもらえないか」って声をかけてくれました。

──他にそういう存在のバンドがいなかったということですか。
松本 いや、上手いバンドはいっぱいいたと思う。でも、僕たちは日本語でやっていたということもあって、きっと存在感があったんだね。
鈴木 はっぴいえんどの強みは、メンバー全員がなんでもできることなんですよ。演奏、歌唱、アレンジ、全体のプロデュースもこなせた。当時の歌謡曲はアレンジャーが書いた譜面通りに演奏するのが当たり前だったけれど、僕たちの譜面にはコードネームしか書いていなかったんです。だから、曲を作った人がまず歌って、曲のニュアンスを把握したら、ドラムもベースもギターも各自が自分のアイデアで演奏を組み立てていくというやり方でした。
松本 要するにみんな譜面が読めなかったし、書きもしなかった(笑)。すべて、ヘッドアレンジ(譜面を書かずにその場で編曲していくこと)です。その場で適当に合わせながら作っていくスタイルが、結果として素晴らしい化学反応を生んだんです。筒美京平さんのようなプロの現場に呼ばれると、きっちり譜面が書かれているので僕らは弱かったですけどね。京平さんは、「こいつら本当に使えるのか?」なんて見ているし(笑)。

──『はっぴいえんど』や続くセカンド・アルバム『風街ろまん』(1971年)を聴くと、大滝さん、細野さん、茂さんそれぞれの個性が際立ちつつも、松本さんの詞によって一つの世界観にまとまっていると感じます。当時の4人の関係性はどのようなものだったのでしょうか。
松本 バンド内にプロデューサーが4人いるような状態でしたから、今考えるとよく数年間も続いたなと思う。普通なら5分くらいで空中分解するよね(笑)。
鈴木 実質的にバンドとして濃厚に機能していたのは『はっぴいえんど』から『風街ろまん』にかけての1、2年だからね。お互いに優秀な作家だからこそ、相手の曲作りに刺激を受けるし、素直に認めつつも「なんであんな曲が作れるんだ」と嫉妬や悔しさもあった。同時に「自分にはこれができる」という自負みたいなものもあった。細野さんはアコースティックギターを弾かせたら僕より遥かに上手かったですし、互いの才能を尊敬し合える稀有なバンドでしたね。
──それぞれの楽曲を、作った本人がプロデュースするということなんですね。
松本 プロデューサーが作曲者なんだよ。
鈴木 だから僕が呼ばれなかった曲もある。
──有名な「風をあつめて」には茂さんは……。
鈴木 そう、僕も大滝さんも呼ばれていないんだよ(笑)。
松本 だから細野さんもすごいんだよね。「なんで大滝さんはいないの?」って聞いたら、「いらないから」って。それじゃあ解散するよね(笑)。
鈴木 それでもあんな名曲になるわけだからね。
松本 はっぴいえんどのすごいところだよね。
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