「TOKYO POP CHRONICLE」特集 第2回
「世界への最短距離は日本語だった」松本隆×鈴木茂が振り返る、はっぴいえんどのはじまり
2026.08.23 12:00
2026.08.23 12:00
9月26日(土)に開催されるコンサート・イベント「TOKYO POP CHRONICLE」。東京のポップミュージックの系譜を現代に蘇らせるというコンセプトのもと、元「はっぴいえんど」の松本隆と鈴木茂、金延幸子、ブレッド&バター、伊藤銀次、南佳孝、尾崎亜美、杉真理など、錚々たるアーティストたちが東京・SGCホール有明に集結する。
その開催を記念し、Bezzyでは全3回にわたる特集を展開。その第2回と第3回では、松本隆と鈴木茂のスペシャル対談をお届けする。日本語ロックの祖と称される「はっぴいえんど」の元メンバーであり、現在はそれぞれ作詞家、シンガーソングライター兼ギタリストとして活躍する両者。立場は違えども、音楽プロデューサーとしても日本の音楽シーンに多大な影響を与え続けている。
前後編でお送りする二人のインタビューは、1960年代末のはっぴいえんど結成以前から、はっぴいえんどで活動した数年間、そして解散後の1970年代半ばあたりまでを回想してもらうことで、東京発のポップミュージックがどのように生まれ、発展していくことになるのかが浮き彫りになるような内容となった。前編では二人の出会いから当時の音楽事情、はっぴいえんど結成のいきさつ、そして、ファースト・アルバム『はっぴいえんど』がリリースされた1970年前後までを辿っていこう。

高校生にしてすでに別格だった二人
──まずはお二人の出会いや出会う前の東京での原体験からお聞かせください。お二人とも東京ご出身で、1949年生まれの松本隆さんが2年先輩になりますね。
松本 僕は港区の青山生まれで、中学1年から麻布に移りました。音楽の原体験というと、やっぱりビートルズですね。1964年にデビューして、日本に来たのが66年。日本武道館で来日公演を行ったときに観に行ったんです。バンドを始めたのは、高校に入ってから。
──中学生の時からドラムをやられていたのでは。
松本 それはエアドラム(笑)。ちゃんと始めたのは高校生からですね。
鈴木 エアドラム(笑)。ドラムはうるさいからね。
松本 それにドラムって邪魔なんだよ。組み立てて部屋にあると、歩く場所がなくなる(笑)。

──松本さんは高校生の頃から、すでにバンド仲間の間では有名だったそうですね。
松本 池袋に「WIS」というバンドのサークルがあったんです。ヤマハがやっていたと思うんだけど、そこで「エース」という一番上級になったんです。バーンズというバンドをやっていた頃かな。高校1年からドラムを始めて、高校2年の時にドラム合戦みたいな全国大会があって、出場したら勝っちゃったんです。それでテレビ朝日の朝の番組にドラムだけ呼ばれて、「何十秒かあげるからドラムソロをやって」と言われて出演しました。
──高校生でテレビ・デビューですか!
松本 当時の映像が残っていないかテレビ関係の人に聞いたことがあるんだけど、もう無いみたい。だから上達は早かったんだけど、(鈴木)茂の方はもっとすごくて、高校生の時から天才ギタリストと言われていたんだよね。
──鈴木茂さんは1951年生まれで、ずっと世田谷育ちですね。
鈴木 ええ、ずっと世田谷です。最初の音楽体験っていうと、家にステレオがあって、一番上の兄がエルヴィス・プレスリーやニール・セダカなどのシングル盤を持っていたので、それをよく聴いていました。あと、ちょうどベンチャーズが大流行りだった頃で、それで中学生のときに近所の友だちとベンチャーズのコピーバンドを組んだのが最初。

──かなり早い時期からギターに触れられていたんですね。
鈴木 中学1年のときだから、13、4歳くらいからかな。その頃は夢中になって毎日弾いているから上手くなるのが早くて、中学3年か高校に入った頃に「あそこにギターの上手いやつがいるぞ」と噂が広がったんです。それで知り合いが来て、「PEEP」というサークルみたいなものに呼ばれて自分のバンドで行きました。新宿御苑前にあった御苑スタジオでオーディションがあったんですが、そこに細野(晴臣)さんのバンドや林立夫くんのバンドもオーディションに来ていて出会ったんです。挨拶して電話番号を交換して、1年くらい経ってそれぞれのバンドが解散した後に連絡を取り合うようになりました。
次のページ
