「TOKYO POP CHRONICLE」特集 第1回
「東京はいいなあと思っていました」シティポップの立役者・伊藤銀次の名曲回想録
2026.08.02 12:00
2026.08.02 12:00
今になって評価されているのが本当に不思議
──銀次さんは3ヵ月だけシュガー・ベイブに在籍して、その後はりりィさんのバイ・バイ・セッション・バンドを経て、初のソロ・アルバム『Deadly Drive』(1977年)を発表されます。
もともとはマジック・バッグというバンド名義で発表する予定だったのが、レコード会社からソロでやってくれと言われました。自分はギタリストという意識もあったから、何をやっていいのかはっきりと見えていなかったんです。だからセッションっぽい曲が多いんですよ。ギター&ヴォーカルの宿命みたいなもので、ギターも聴かせたいし、歌も聴かせたい。つまりポイントが定まらなくて、セールスもイマイチだったから、大失敗作だと思っていました。

──でも『Deadly Drive』は再評価が著しいですよね。近年「こぬか雨」は海外でも人気があります。
アメリカからはアナログで出したいとオファーが来たりして、びっくりしますよね。当時はウケなかったのに、今になって評価されているのが本当に不思議です。でも、シュガー・ベイブの『SONGS』も大貫(妙子)さんの『SUNSHOWER』も当時はウケなかったから、ああいう音楽はあの時代の日本には合わなかったんでしょうね。当時、新宿でレコードを買って、それを眺めるために喫茶店に入ってコーヒーを頼んだら、窓の向こう側がちょうどビルが建ち始めた副都心だったんです。その風景を見ていたら霧雨が降り始めて、“ここにはスコールさえもない”っていう言葉が浮かんだんですよ。そこから作り始めたのが「こぬか雨」という曲になったんです。ただ風景を切り取っただけで何も言ってないんだけど、いろんな人がカヴァーしてくれるようになったのが不思議ですね。
──ところで、「TOKYO POP」と聞いて、どんな音楽を連想しますか。やっぱり、はっぴいえんどですか。
いや、もっと古い曲ですね。例えば灰田勝彦さんの「東京の屋根の下」とか。笠置シヅ子さんの曲もそうだけど、服部良一さんのジャズに憧れて作ったような曲が、東京のポップスの原型というイメージです。あとは「港が見える丘」を作った東辰三さん。山上路夫さんのお父さんですね。アメリカの音楽に影響を受けて音楽を作っていたので、こういった人たちのことはとてもリスペクトしています。最初の話に戻るみたいだけど、小津安二郎などの昭和の古い日本の映画を観るのが好きなんですよ。そこに映っている東京の風景を見ているとすごく落ち着くんですよね。俳優のセリフも上品だし。「君、いい加減にしたまえ」みたいな(笑)。大人の東京っていう感じがします。

──9月26日(土)に行われるイベント「TOKYO POP CHRONICLE」には、当時から銀次さんとも面識のある方がたくさんご出演されます。どんなイベントになりそうですか。
やっぱり『Deadly Drive』の曲はやろうと思っています。今、シティポップと言われている音楽は、いい意味で時代性の匿名感があるんですよ。「神田川」だとあの時代の匂いがするけれど、「DOWN TOWN」や『Deadly Drive』にはそういう感覚がないんですよね。だから売れなかったのかもしれないけれど(笑)。金延幸子さんが出演されるのも楽しみですね。アメリカ在住なので、めったに観られないですから。
──銀次さんが影響を受けた松本隆さんもトークでご出演されます。
先日、ライヴで大瀧さんの「ペパーミント・ブルー」を歌ったんですが、数ある松本さんの曲の中で最も好きなんですよ。特に“そんな風にぼくたちも愛せたらいいのに 水のような透明な心ならいいのに”という2行は、愛をすべて語っていると思います。初めて聴いた時、すごく衝撃を受けました。いずれにしても、このイベントでいろんな人に会えるので、とても楽しみにしています。
(「TOKYO POP CHRONICLE」特集第2回 松本隆×鈴木茂 特別対談・前編へ続く)


