「TOKYO POP CHRONICLE」特集 第3回
半世紀愛される東京の音楽が変えたものは?松本隆と鈴木茂が語る、“はっぴいえんど史観”への本心
2026.08.24 18:00
2026.08.24 18:00
僕にとってTOKYO POPは、やはり「風をあつめて」
──解散後、鈴木茂さんは単身渡米して伝説的なソロ・アルバム『BAND WAGON』(1975年)を制作されます。
鈴木 解散後、細野さんとティン・パン・アレーを始めたんだけど、当時のアメリカのモータウンやアトランティック・レコードのように、専属ミュージシャンとしてレーベル全体をプロデュースするような動きが日本では難しくて、バックバンドとしての依頼ばかりになってしまったんですよ。それで、高校時代にやっていたようなロックが自分の音楽に活かされてないなって思って、松本さんに数曲の歌詞をお願いしてひとりでLAに行きました。
松本 当時はデータを送るなんてことはもちろんできなかったから、国際電話で音符を数字の乱数表に置き換えて送ってくるんですよ。僕はそれに詞を書いて。
鈴木 今思うとよくあんなことができたよね(笑)。

松本 あの国際電話代はすごかったんじゃない(笑)。1曲で160万円くらいかかったとか。
鈴木 いやいや、そんなにかかってないよ(笑)。制作予算のことはすごくよく覚えているんだけど、クラウンレコードから最初60万円だけもらって、僕が1人で管理して渡米したんです。失敗したらどうしようとか思ったんだけど、現地で意気投合したベーシストのダグ・ローチから、タワー・オブ・パワーのドラマーのデヴィッド・ガリバルディにつながってトントン拍子で演奏陣が決まったんだよね。でも、2、3曲録音を進めたら資金が底をついてスタジオの受付の人に「この後、お金大丈夫?」っていう感じで嫌な顔をされた(笑)。それで慌てて日本のクラウンに電話して追加資金を送ってもらったということもあって、電話代自体はせいぜい2、30万円くらいだったと思うよ。
松本 でも、僕が日本からかけた電話代は自費で払っているからさ(笑)。
鈴木 そうか、松本さんからかけたときはそうだよね。お金を返さないと(笑)。
松本 50年以上前の話だからもう時効だけどね。その頃はもう僕は儲かっていたから(笑)。そんな感じだったから本当にひとりでできるのかななんて思っていたんだけれど、茂が持って帰ってきたテープを聴いた時は本当にひっくり返るほど驚いたよね。あれはね、大滝さんが一番ショックだったんじゃないかな。「茂にしてやられた」って(笑)
鈴木 あの後、大滝さんは荻窪LOFTで「大滝詠一 鈴木茂を唄う!!」っていうライヴをやってくれたわけ。「茂の曲は歌い辛いな」とか言われたけど(笑)。昔そういうこともあったから、僕は最近になって逆に『鈴木茂、大滝詠一を歌う』っていう企画をやっているんだよ。
松本 大滝さんらしいよね。
鈴木 そうそう、思い出したんだけど、渡米中にサンノゼの体育館でやっていたジョージ・ハリスンのライヴを観に行ったんだけど、「マイ・スウィート・ロード」がすごくヒットしていた時期だったので、そのライヴ熱気にやられて、その刺激を宿に持ち帰って、宿泊先の台所で作り上げたのが「砂の女」だった。
松本 鈴木茂とジョージ・ハリスンってどこか雰囲気が似ているんだよね。
──茂さんはその後のソロ作品でも一貫して松本さんに作詞を依頼されていますね。
鈴木 他の作詞家に頼んだこともあるんだけれど、やっぱり松本さんの詞が一番しっくりくるし、メロディへの乗り方が圧倒的に素晴らしいんですよ。だから自然とお願いし続けているんだと思う。
──今回行われるイベント「TOKYO POP CHRONICLE」にちなんでお伺いしたいのですが、お二人にとって「TOKYO POP」とはどのようなイメージでしょうか。
鈴木 当時のミュージシャンは地方出身者が大半で、例えば大阪のバンドは泥臭いブルースの味わいがあるし、ステージでのパフォーマンスの一体感や構成がすごく上手かった。対して、はっぴいえんどはステージの上でただひたすら演奏するだけ(笑)。東京の音楽には、そうした無骨さと洗練が同居したというか、少しおしゃれな空気感はあったのかな。
松本 僕にとって「TOKYO POP」というと、やはり「風をあつめて」かもしれない。それまでの東京を舞台にした歌というと、「東京だヨおっ母さん」のように、地方から上京してきた人たちの視点で歌われるものがほとんどだったんじゃないかな。でも僕は東京生まれの東京育ちだから、自分が日常で見ている風景や散歩している時の心地よい気分をそのまま歌にしたかったという、それだけだった。

──高度経済成長期における中産階級の空気感ですよね。四畳半フォークとは異なる、都市生活者の感覚が松本さんの詞やユーミンの音楽に感じられたんだと思います。
松本 昭和の終わりに中産階級という層自体が消えちゃったけれどね。都会の日常をありのままに描いた「風をあつめて」のような楽曲が時代を超えて愛され続けているのは、不思議なマジックを感じる。ただ僕は散歩していただけなんだけど(笑)。
鈴木 うん、たしかに男目線で都会の情景を描いたのが松本さんの世界なら、女目線でふわっとした感情の揺れや空気感を描いたのがユーミンの世界かもしれないね。生活感を感じさせず言葉と言葉の間の空気感を楽しむような世界観が、それまでの歌謡曲と違って、新しいポップスの格好良さにつながっていったんじゃないかな。
──最後に、9月に開催されるイベント「TOKYO POP CHRONICLE」への抱負をお聞かせください。
松本 気心の知れた仲間が集まってライヴをやるのは素晴らしいことだよね。昔は単独ライヴよりも、色々なバンドが集まるイベント形式が多かったんです。「日本語のろっくとふぉーくのコンサート」なんて変なタイトルのイベントもありました(笑)。ああいうテーマのあるコンサートも面白かったよね。金延幸子も久しぶりに会うから楽しみだよ。
鈴木 そうだね、むしろ昔は単独ライヴっていうのがほとんどなくて、みんな一緒にライヴをやっていた。今は逆にそういうのが少なくなったじゃない。だからいろんなテイストのアーティストを観られるから、それをお客さんが楽しんでくれたらいいなと思っています。



