2026.06.24 19:00
2026.06.24 19:00
大学に行かないことは自分で決めた選択でした
──こういう特殊な世界観の作品の場合、リアクションであったり表情のつくり方について、他の作品と違いはありますか。
普段やる作品だと、演じる上でわからないことがあったら、自分がわかるところまで落とし込む必要があるんですけど、こういう作品の場合、ちょっと違って。たとえわからないことがあっても、それは解決しなければいけないことなのか、それともわからないままでいいことなのかを取捨選択しないといけない。そこは、こうしたホラー要素を含んだ作品の特徴かなと思います。
たとえば、教室でやっているお化け屋敷の出し物に入っていくシーンがあるんですけど、本当なら自分たちでつくったものだし、そこに何があるかなんてわかってるから、そんなに怖がる必要はないんですよね。でも、あそこでホラー的な演出が入ることによって、私たちもより怖がったリアクションを見せないといけない。下津さんも「もっと怖がって」とずっとおっしゃっていて。そういった“足す”お芝居が多いのは、こうした作品の特徴だと思います。

──山田さんは過去にもホラー作品に出演されていますが、そのときとはまた違う感じですか。
『樹海村』のときは怖がる対象がお化けだったので、そこはまたちょっと違いましたね。今回の場合、ただ怖がるだけじゃなく、乗り越えなければいけない壁があって、そこに対する自分の中の戦いとか葛藤といった要素が多かった気がします。
──ちなみに清水崇監督の作品に出演している立場としては、清水監督の役者としての演技はどうご覧になったのでしょう。
私は今回会えなかったんですよ。でも、映像で観たら、めちゃくちゃ清水さんのまんまでした(笑)。しかも、名前が「清水 祟(キヨミズ タタリ)」っていう。そこも含めて、とても面白かったです。
──山田さんのサイコホラーといえば、『ミスミソウ』も非常に印象的です。『ミスミソウ』は山田さんにとってどんな作品ですか。
『ミスミソウ』をやっていなかったら、『NEW GROUP』には出会えていなかったと思うんですよ。そういう意味では、私の役者としての方向性を決めてくれた作品なのかなという気がします。やっぱりすごく強烈な作品だったので、私のことを『ミスミソウ』の子だと覚えてくださっている方が今でもたくさんいて。私の初主演が『ミスミソウ』で良かったなと思っています。

──観る側としても、サイコホラーがお好きだと先ほどおっしゃっていましたね。
大好きです。アリ・アスターとかヨルゴス・ランティモスとかすごく好きで。『ブゴニア』も最高でした。
──映画の中では集団の恐怖が描かれていますが、集団には良い面もあります。たとえば、映画はまさに集団による総合芸術。集団で仕事をする上で山田さんが大事にしていることを教えてください。
映画は監督のものということですね。俳優は目につきやすいから注目されるだけであって、映画はみんなでつくるもの。自分は、俳優部という部の一員であることを忘れないようにしています。
その上で大事にしていることは、やっぱりコミュニケーション。まずは自分のやるべきことをちゃんとやる。で、余力があれば助けられるところは助ける。私の中で、映画づくりって壮大な文化祭をやっている気分なんです。

──そのコミュニケーションというのが難しいものだなと思います。
そうですよね。私もものすごい人見知りだったんですよ。でも仕事をしていたら、人見知りとか言ってられないじゃないですか。だから、話す努力はするようにしています。別に何をしゃべったかは大事ではなくて、そうやって話をする中で相手の人柄が見えたり、お互いに対する安心感が生まれたりするのかなって。
──たとえば考えが食い違うなど意思疎通において齟齬があった場合はどうしますか。
正しい順番で正しい人に話すようにしています。たとえば、現場でこれってなんでなんだろうと思うことが起きたとします。そのときに、まずこの疑問は私だけがわかっていないのか、それとも全体に関わる疑問なのかを見極めるんです。で、全体に関わるものであれば、この疑問を誰に伝えたら丸くおさまるのかを考える。声を上げることは大事ですが、そこで波風を立てることを私は望んでいなくて。なるべく丸くおさまるルートを探して、最初はこそっと小さな声で伝えるようにしています。

──映画を観て、集団に流されず自分で考え選択していくことの大事さを感じました。山田さんが自分で選択したことはなんですか。
大学に行かないって決めたことです。私は高校3年生のときに芸能コースのある高校に転校したんですね。ずっと真面目に勉強してきたので、今までの高校に残って受験勉強を頑張る道もあったと思うんですけど、新しい高校の見学に行ったときに、これからはここでお仕事に専念しようと思った。と同時に、それは大学に行かないという決断でもありました。それは自分で決めた選択ですし、あのとき自分で決心したということをずっと忘れずに覚えていようって今でも思っています。
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