稲葉友らキャスト陣の魅力、福原充則演出の“絶妙さ”を解説
Travis Japan・松田元太の魂の歌声に何を思う?全てのもがく人へ贈る舞台『俺節』開幕
2026.06.15 21:00
2026.06.15 21:00
シリアスな物語で絶妙に散りばめられた“笑い”
そうそう、この舞台『俺節』の魅力は、さまざまな日本の演歌、歌謡曲が劇中でふんだんに歌われるところにある。さながら和製ジュークボックス・ミュージカルの様相なのだが、「この歌をこの人が?」という面白さもあるし、最近は聞かなくなった歌謡曲の良さを改めて知ることができる、そんな効果もある。
オキナワを演じた稲葉友が、またとても魅力的だ。コージの歌声に魅了され、2人で組んで活動していく作曲家志望のオキナワは、けして善人ではない。手癖が悪く、調子よく飄々としていながら内面にナイーブな部分も隠し持っているというキャラクターを、稲葉友が実に見事に演じている。稲葉友といえば映画『ゴールデンカムイ 網走監獄襲撃編』宇佐美時重役のあまりにも「原作そのまんまのヤバい奴ぶり」がSNSを中心に話題になったのも記憶に新しいが、表現のレンジが非常に広いことに改めて驚かされる。

コージが思いを寄せる外国人ストリッパー・テレサを演じるのは韓国で映像、舞台にと活躍する実力派、キム・チャンミ。日本の舞台作品に出演するのは初めてというが、可憐なビジュアルと確かな演技力、存在感で、しっかりと今作を締めてくれている。初演はシャーロット・ケイト・フォックスが演じたテレサだが、今回の再演は韓国人である彼女が演じたことで、はからずも(?)差別・被差別の構造も内包され、作品により奥行きが出ている。

今作、コージとオキナワという若い2人を見守る“大人たち”がまた、いい。特に益岡徹演じる大物演歌歌手・北野波平と、六角精児演じる「流しの大野」の2人。物語の舞台となっている1990年代初頭はカラオケが台頭してきた時代で、盛り場を演奏して歩く「流し」である大野は、そういう時代の波に飲み込まれて職を失う人の1人だ。演歌歌手として一時代を築いた北野波平も、おそらく演歌が既に「時代遅れ」となりつつあることに気づいている。そんな状況でいながら、2人とも目の前でもがく若者たちと向き合い、彼らなりのやり方で手を差し伸べている。特に2幕後半のオキナワと北野の場面、「365歩のマーチ」がこんなにも泣けるとは! これぞ“大人”の役割だよなあ、としみじみ思ってしまう。


書き出すとキリがないが、全ての登場人物が泥臭く、それでいて魅力的なのだ。小劇場の手練れたちが今回、コージたちをとりまく人物を演じているのも大きいだろう。ベテランストリッパーとかつてのアイドル・寺泊行代の2役を演じたのは、作・演出家としても高い評価を得ている桑原裕子。胡散臭さ全開のストリップ劇場の支配人を演じた村上航、先輩ストリッパーとしてテレサを見守るエドゥアルダ役の後東ようこもいい。意外にも今作が初の福原充則作品出演という坂田聡は、みれん横丁の住人とプロデューサー・戌亥辰巳の2役。戌亥もまた、ある意味でコージを“見守る”大人の1人だが、重くなりがちなストーリーの中で彼自身が抱えている哀愁と、状況自体は悲惨なのにどこかコミカルに見えてしまう様相が絶妙だ。
今作はけしてストーリー自体は明るいものではないのだが、それでも観終わったあとには、かなり“笑えた”印象があるのではと思う。それは濃密な人間同士の関係を描くことに長け、かつ笑いと緩急がついた演出を得意とする演出家・福原充則の手腕と、ベテラン小劇場勢たちの奮闘があってこそなのでは。

舞台となっている1990年代前半はいわゆる「バブル」だったが、恩恵を受けたのはごく一部の人間で、景気の波からこぼれ落ちた人たちがいる(その象徴がコージが流れ着く「みれん横丁」の住人たちだ)。そこからバブルが崩壊し、日本は暗いトンネルのような時代へと突入するが、人生がうまく行かず、奮闘し、もがく人々は変わらず今も存在するし、全身全霊でもがき続ける人には何らかの形で救いがある、いやあって欲しい……そんなことを思わされる舞台。コージの歌声は、そんな“希望”を表しているようだった。




