2024.06.12 18:00
どうも読者の皆々様方「オタズネモノ」こと庄村聡泰にございます。不定期ゆえに今回は随分とお早い当シリーズの第8回目となりまして、お越し下さいましたのは「イマーシブ・アートロックバンド」を標榜する5人組、Khaki。
その定型を無視、或いは拒否したかのような独特にして複雑な楽曲の成り立ち、そしてそれを作り出すメンバー同士の関係性、先日設立が発表された個人事務所「合同会社ア柿印」にも顕著であるセルフメイド的な活動のルーツ、思わず想像を広げたくなる楽曲名の数々の由来、ほかにも印象的なシャツ&タイの着こなしやバンド内にザッパ担当とマイルス担当がそれぞれいる話などなどを、東京は祖師ヶ谷大蔵が誇る「まるよし横丁」にて撮影後、まさかまさかの酒を囲みながら(筆者は翌日人間ドックだったため飲めずにございました泣)深く深く、此度も下記にてオタズネモウシテ参りました。
因みに今回カメラマンとして参加してくれたのはなんとyonawoの斉藤雄哉(Gt)。久方振りの再会にも関わらず盃を交わせなかった事が悔やまれますが、まあまたそのうち。
黒羽加入で変わったバンドのモード
──音源を聴く限りではそんなイメージではなかったんですけど、結構ライブジャンキーなバンドですよね。
中塩博斗(Gt.Vo.) 最近はちょっと少なめですけど、めちゃくちゃやってるときはあって。月10本とかやってたときとかありました。
──元は早稲田大学のサークルの先輩後輩ですよね。言い方良くないかもですが、結成から3年ぐらいはダラダラやっていたという。そこから今のリリースペースになり、事務所運営だったり、MVやアートワーク、グッズの制作も自分たちですよね。学生ノリから誰が「真面目にやろう」と言い出したんですか?
平川直人(Gt.Vo.) 前はベースがほかの人だったんですけど、コロナのときに前のベースと連絡がつかなくなっちゃって。それで黒羽が入ってきて。彼がほかのバンドをいっぱいやってたんですけど、ほかのバンドにも結構厳しめの意見を言う、バンドクラッシャーみたいな。僕らも嫌な思いもしましたけど(笑)、いい感じにいけて、そこからアルバムを出そうって。彼が入ってきたのがデカいですね。
──黒羽さんはLongというバンドをやっていたんですよね。
黒羽広樹(Key.) そうです、ここ(中塩)とここ(橋本)で。
中塩 それで黒羽さんと知り合っていて。Khakiのベースがいなくなったときに連絡して。
黒羽 ちょうどコロナで、今までいろいろやっていたバンドが全然活動しなくなっちゃったタイミングで、中塩くんと2人でいろいろと音楽を作っていて。その流れで。
──黒羽さんは「ちゃんとやればいいバンドなのにな」と思っていたのか、それとも「やりたいことやって壊れるんだったらそれまでだ!」みたいなノリで発破をかけたのか。
黒羽 そんな毎回壊してやろうと思って壊しているわけじゃなくて(笑)。全然そういうのはなく。Khakiが全然活動していなくて、でもなんかやりたいって言うから「何がやりたいの?」と聞いたら「音源作りたい」って言ったから、「じゃあこうしたらいんじゃないの?」って話して。音源を作りたいんだったら、これとこれをやらなきゃダメだよねって。
中塩 黒羽さんは真面目でちゃんと活動に向き合うタイプだと思うんで。だからどんな活動をやっててもみんなに結構言う感じだし、それに僕らが耐えられたから、なんとか続いた感じです。
──ベーシストは社長やプロデューサータイプが多いんですよね。亀田誠治さんとか佐久間正英さんとか。俺らの世代だと後藤次利さんとか。
黒羽 そういうことなんでしょうね(笑)。
──それで音源が話題になって、ライブハウスからお声がかかるようになってという感じ?
中塩 2021年にアルバム(『Janome』)を出したんです。リリース前に「The Girl」と「車輪」のMVを作ってYouTubeに上げはじめて。『Thirteen』(EP)を出してはいたんですけど、世に発表しているのがそれだけで。MVをがんばって作って、出したら聴いてもらえるようになって、ライブも呼んでもらえるようになって。なんか楽しいなって。聴いてくれるんだなって。
──そこからなんだ。それまでは集まってセッションをしたりしていたのか、それとも別の活動で忙しかったのか。
中塩 コロナ前まではたまにスタジオ入ったり、たまーに呼ばれてライブに出たり。コロナでなんも動かなくなってから、ちゃんと作りたいなとなって。アルバムを作ってからぐらいですね、積極的に活動し出したのは。
黒羽 Longでやっていたこととちょっと統合したみたいな要素はあるよね。
中塩 そうそう。
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