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「TOKYO POP CHRONICLE」特集 第2回

「世界への最短距離は日本語だった」松本隆×鈴木茂が振り返る、はっぴいえんどのはじまり

2026.08.23 12:00

2026.08.23 12:00

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『ゆでめん』を作った時に「日本語の方が絶対に面白い」と確信した

──当時はまだ楽器も高価で、バンド人口自体が少ない時代ですよね。

松本 フェンダーやギブソンのギターやアンプなんて高くて買えない時代。ドラムも高かったね。だから楽器を買えるのは、親から呆れられているような奴らばっかり(笑)。

鈴木 僕はアルバイトをして兄弟に少し助けてもらって、それでもフェンダーなんて買えないから、日本のエルクという会社のギターを買って弾いていたよ。

松本 なんか、ギターを削ってなかった?

鈴木 うん、ストラトキャスター型だったんだけど、イギリスのVOXが出していた卵型(ティアドロップ型)のギターがかっこいいと思って、夏休みにノコギリで卵型に削っちゃった(笑)。それをずっと使っていて、1970年に出したはっぴいえんどのファースト・アルバムの『ゆでめん』(正式名称は『はっぴいえんど』)のインナースリーブに大滝さんがそのギターを弾いている写真が載っているんですが、いつの間にかどこかに行っちゃった(笑)。

──1970年というと、まだバンド人口が少ない時代ですよね。グループ・サウンズ(GS)ブームの直後という時代背景はありましたが。

松本 GSの全盛期はすごくて、新曲を出せば大ヒットという時代でした。でも2、3年でブームが終わって、解散したGSの人たちがみんな英語でロックをやろうとしていた。それに対して僕たちは日本語でやろうとしたんです。

──ここが非常に核心的な部分ですが、なぜ誰もやっていなかった日本語によるオリジナル・ロックを目指したのでしょうか。

松本 オリジナルへのこだわりですね。当時はみんなコピーばかりしていたんです。例えばエリック・クラプトンの即興演奏をそのままコピーして弾く。でも、クラプトン本人は即興演奏だから二度と再現できないのに、コピーする側は同じものを弾き続けるということに音楽的な疑問を持ったんです。だからオリジナルを作りたかった。歌詞に関しても、僕は英語で書くこともできたけれど、人の心を打つような深みのある歌詞はやっぱり日本語じゃないと難しいと思ったんです。「日本語で練習しようよ」と提案しても、当時のミュージシャンたちは討論会ばかりしていてつまらなかったよね(笑)。

鈴木 当時は自分の言葉で歌う人がいなかったからね。GSの人たちは専門の作詞家、作曲家が作った歌を歌っていたし、ロック系の人たちも内田裕也さんをはじめみんな英語で歌っていた。僕も正直最初は「英語の方がかっこいいんじゃないか」と思っていたんだけれど、『ゆでめん』を作った時に「日本語の方が絶対に面白い」と確信したんですよ。そうやって準備をして形にした松本さんたちの構想力はすごかったし、一緒にできて良かったですね。

松本 当時は教科書も参考書もない状態だったから、GSのように流行りに乗るのではなく、自分たちが伝えたいことをアルバムという形で表現しようと『ゆでめん』を作ったんです。細野さんは当初「英語じゃないと世界に打って出られない」と言っていましたが、日本人が英語で歌っても訛りがきつくて海外では笑われてしまうんですよ。でも、坂本九さんのように日本語の歌でヒットした例があるから、実は最短距離は日本語じゃないかと主張しました。「日本語で世界に通用すると思うのか」と問われたら「確率は低いがゼロではない」と。後年、ソフィア・コッポラが監督した映画『ロスト・イン・トランスレーション』(2003年)で「風をあつめて」が使われて、全世界的に知られることになったから、僕の考えは間違っていなかったと思っています。

──松本さんの書く詩は、ロックのビートに乗せるための優れたリズム感を持っていますよね。

松本 僕は中学の頃から、人に見せるわけでもなく、自分のために詩を書いていて、ドラムを叩くこととは全く別の趣味として平行線上にあったんです。それがはっぴいえんどの時に統合された。大滝さんも細野さんも「松本の詩はリズムが良くて曲がつけやすい」と言ってくれましたね。自分の中で特別な意識があったわけではなくって、その場その場で戦っていったって感じかな。

鈴木 松本さんの詩は本当にメロディに乗せやすいんだよね。僕が後年アメリカでレコーディングした際、現地のスタジオスタッフから「君の日本語は他の日本人と違って角張った感じがしない」と言われたことがあったんです。英語は舌を丸める発音が多いのに対して、東洋の言葉は硬く聴こえがちなんですが、大滝さんも僕もメロディの流れを良くするために歌い方や発音を工夫していました。大滝さんは「が・ぎ・ぐ・げ・ご」の前に小さな「ん」を入れる鼻濁音を意識して使っていたりして、そういった工夫で日本語の角を丸くしていたんです。

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イベント情報

TOKYO POP CHRONICLE

TOKYO POP CHRONICLE

2026年9月26日(土) SGCホール有明
開場 15:00/開演 16:00

出演:伊藤銀次/尾崎亜美/金延幸子/清水ミチコ/杉真理/鈴木茂/ブレッド&バター/南佳孝 and more…
ゲストプレーヤー:林立夫(Dr)/小原礼(B)
スペシャルトーク:松本隆/鈴木茂/金延幸子/南佳孝/佐野史郎
House Band:高野寛(G/Vo)/高田漣(G)/伊賀航(B)/坂田学(Dr)/ハタヤテツヤ(Key)/ツヤトモヒコ(Cho)/吉永涼(Cho)

料金(税込):全席指定 14,000円/U-22チケット 7,000円
一般発売:2026年7月4日(土)10:00~

TOKYO POP CHRONICLE

作詞家。1949年7月16日生まれ、東京都出身。1969年に細野晴臣、大瀧詠一、鈴木茂とともにロックバンド「はっぴいえんど」を結成し、ドラムと作詞を担当。「日本語のロック」を立ち上げ、その後の日本のポップ・ミュージックシーンに多大な影響を及ぼす。

「はっぴいえんど」解散後は作詞に専念し、75年『木綿のハンカチーフ』(太田裕美)のヒットにより注目を集め、81年『ルビーの指環』で第23回日本レコード大賞を受賞。アグネス・チャン、KinKi Kids、近藤真彦、松田聖子、薬師丸ひろ子など400組を超えるアーティストに作詞を提供し、数多くのヒット作品を手掛ける。

2016年「第66回芸術選奨文部科学大臣賞」、2017年紫綬褒章を受章。2025年、作詞活動55周年を迎え、東京国際フォーラム ホールAで「風街ぽえてぃっく2025」を開催。作詞数が2100曲を超え、オリコンヒットチャート1位を記録した曲は50曲以上、ベストテン入りした曲は130曲を超える。

ギタリスト。1951年東京・世田谷生まれ。1969年「はっぴいえんど」に加入。解散後、1974年に渡米し名盤『BAND WAGON』を制作。帰国後は「鈴木茂&ハックルバック」でライブ活動を続ける。

アレンジャー、プロデューサーとしても数多くの名曲に携わり、現在はソロ活動を軸に、日本ロック草創期から現在まで、多岐にわたり第一線で活躍し続けている。

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