2024.11.18 18:00
どうも、眉毛がなくなった庄村聡泰にごぜえますよ。オタズネモノはちょいとお久しゅうですね。いやはや恥ずかしながら、その音楽に含有されるあまりの速度と情報量にすっかりセーラームーンでいうところの思考回路はショート寸前になっちまいましたので、従来のテンプレ的な前口上がぶっ飛んでしまいましたのでまっさらな気持ちで書いております事をお赦し下さい。ですが新東京の音楽に一度触れればそうなる気持ちも分かって頂けるはずですぜ。
アカデミック(音源)でアクロバティック(ライブ)なバンドでありながら、更にベーシストはトリックスターでアジテーターでエンターテイナー(大蔵)でもあり、鍵盤弾きは作曲とコンセプトを担うシナリオライター(田中)でもあり、歌い手は言葉巧みなストーリーテラー(杉田)でもあり、太鼓はバカテクで献身的なアレンジャー(保田)でもあるんですよ。音楽だけじゃなくて中身もここまで情報量とスキルと役割を有しているだなんて。あと大蔵君のSupremeとヨウジヤマモトコラボのモッズコートにラフシモンズのブーツ合わせるやり口にはスタイリストとしても超いいねと思った次第です。つうか全員おしゃれ。スタイリングしてえ。
知られざる前身バンドとそれぞれのルーツ
──新東京はもう個性がすごすぎて(笑)。世界的にもこの情報量と速度の音楽はあまり無いかなと思いまして。結成のきっかけや、こういう楽曲スタイルに至った理由を聞いていいですか?
田中 俺が鍵盤をやっていて、大蔵と高校生の時にバンドをやっていたんですけど。俺と大蔵がやってたバンドってそんな感じだった?
大蔵 当時よりは進化してる(笑)。でも延長線上にはあるかも。
──それすごく聞きたいです。前身バンドのお話。
田中 今まであんまり語ったことないんですけど、その時は女性ボーカルだったんですよ。もうちょっと、ジャズっぽかったかな。
大蔵 ジャズっぽいっていうか、ポップス色は強かったんじゃない?
田中 ポップス色は強かったけど、プログレ色みたいなのはあんまりなかったです。もう少しメロディーライン意識して作ってたので。密度感みたいなものはあったかもしれないけど、大学で優真と出会ってドラムが表現できる可能性みたいなものが広がって、そこでアレンジとかもガンガン攻めていった結果、今のような感じになりました。
──この前身バンドの時は普通の8ビートみたいな曲も存在したってことですか?
田中 それはなかったかもしれない……(笑)。「36℃」っていう曲が新東京に存在するんですけど、それは高校の時からやってて、その時から一番キャッチーでポップな楽曲でした。
──その密度に対して、歌はある前提だったんですか?
田中 やっぱり根底にJ-POPが好きっていうのはあって。いいメロディーラインを作りたかったので、そういう意味でボーカルは絶対入れたいと思っていました。
──それは音楽を志したタイミングから?
田中 いや、そんなことはないかもしれないです。割と最初は歌がない曲ばっかり聴いてました。むしろそっちの方が長くて。高校らへんからJ-POP聴くようになって。で、「やっぱり歌いいな」ってメロディーラインとかが自分の中で大事になってきて。春音の弾き語りとか聴いて、すごいいいなと思いました。
──最初に聴いてたという歌なしの曲はやっぱりジャズ系のミュージシャンの?
田中 全然そんなことなく、坂本龍一さんとかYMOばかり聴いてて。そこから高校に入ったタイミングくらいから日本のバンドを聴き始めました。最初は『君の名は。』が流行った時に映画見てRADWIMPSを好きになって。
──高校で出会った大蔵さんはどんな音楽からベースを?
大蔵 僕はベースを高校1年くらいで始めたんですけど、その時はジャミロクワイめっちゃ聴いてましたね。あとはSuchmos世代なので。……あ、常日頃から不満があるんですけど「Suchmosもジャミロクワイも好きで」って言うと、「Suchmosからジャミロクワイにみんな行くよね」って言われるんですけど、ジャミロクワイを先に入ってるんで、そこだけ(笑)。
──わかる(笑)。そういうの表に出したいですよね。ちゃんと書いておきます(笑)。
大蔵 レッチリとかも聴いてて。当時、日本のバンドだと東京事変とかBRADIOとか聴きました。楽器テクい系が好きで。
──それで自宅にスチュアート・ゼンダー(ジャミロクワイの元ベーシスト)のポスターを?
大蔵 学校から帰ってきて、毎日見るっていう(笑)。そういう時代もありました。
──あのベーシストは最強ですね。そして僕もドラマーだったっていうこともあって、保田さんのドラムは「マジやべえ」って思います。
保田 ありがとうございます。始めたのは小5・小6ぐらいで。小学校の音楽室にドラムがあって。使っていいよみたいな。
田中 あるよね。
──普通そんなないですけどね(笑)。
保田 (笑)音楽とか別に好きじゃなかったけど、休み時間とかに友達とドラムで遊んでて、太鼓叩くのおもろいってなって始めたんですよ。そこからめちゃくちゃハマって、Wikipediaとかで「ドラム」って検索したりとか。「打楽器の一つである」みたいな(笑)。
──複合的に組み合わせる、みたいなね(笑)。
保田 そこからYouTubeとかでも検索して。最初、歌もののバンドとかポップスというよりも海外の人が叩いてるドラムの曲とか、そういうのを聴いて「もっとうまくなりたいな」って思って始めた感じですね。ジョジョ・メイヤーがちょうどすごい流行ってたというか、みんな「ジョジョ・メイヤーすごい」みたいに言ってるのを日本のドラマーがYouTubeで言ってるのを見て。それで「こんな人がいるんだ」と思ったり。
でもバンドとかやってなかったんで、一人でやってました。僕も日本のバンドとかポップスを聴き出したのは中3か高1とかで、東京事変とかすごい聴きましたね。RADWIMPSも聴いてたし。で、大学入って上京してきたトシ(田中)と音楽仲間みたいな感じでたまにセッションする関係になって、そこから誘われてバンドに入った感じです。
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