来日したグラスゴーの天才ビートメーカーにインタビュー
ハドソン・モホークが語る音楽ルーツ、ターンテーブリストからプロデューサーへの軌跡
2022.11.25 18:30
2022.11.25 18:30
10歳でハードコア・レイヴやジャングルに魅了された
──どうやって音楽と出会ったのですか?
5歳か6歳ぐらい年上のいとこが2人いるんだけど、僕が10歳ぐらいのときにハードコア・レイヴのカセットテープをくれたんだ。当時、それがスコットランドの若い人たちの間で流行っていたんだけど、10歳だったからそんなこと知らなかったんだ。でもその音楽に恋をして、ハードコア・レイヴやジャングルのような音楽に魅了された。それらのミックステープにはたくさんスクラッチやサンプリングが使用されていることに気がついた。そこからそのサンプルが、ヒップホップの曲からきていることを知って、スクラッチの音も好きで、そこからDMC(DMC World DJ Championship)のことを知ったんだ。
──確かUKで最年少のDMC UKファイナリストでしたよね?
始めてから数年後にがっつりハマって、そうなったね。ハマり始めた頃が、ちょうどA-Trackが最年少で優勝した頃だった。
──何歳のときにターンテーブルで出会ったのですか?
たぶんA-Trackが優勝したのが1997年だと思うから、12歳ぐらいのときかな? そこから数年間とにかく夢中になって、東海岸のアンダーグラウンド・ヒップホップにハマったんだ。そこからプロダクションをやってみたかったんだけど、パソコンとか持ってなかったから、プレイステーションの『Music 2000』というゲームで音楽を作っていた。そのゲームはDAWのようなもので、CDからサンプリングできる機能がついていた。そのゲームでアーメンブレイクなどをサンプリングして、ビートを作り始めたんだ。
──ターンテーブリストとしてキャリアを歩もうと思ったことはありましたか?
うーんどうだろう。正直最初からターンテーブルをキャリアと思ったことがなかったし、もしそのときにキャリアを選んでいたらあまり良くない結果になっていたと思う。競争もあるけど、単にそのぐらいの年齢のときに、その後の人生どのようにしてお金を稼ぐかを決めないほうがいいと思う。
──もしかしたら最初から興味があったのかもしれないですが、何かプロデューサーになろうと思ったきっかけはありましたか?
たしかターンテーブルにハマって、スクラッチが入ってるような曲を好きになったんだ。そうなると、DJプレミアやピート・ロックのような、スクラッチを入れてるプロデューサーたちを好きになる。例えばダイレイテッド・ピープルズで、DJ Babuがスクラッチしているものも大好きだった。だからその人たちの曲がどうやって作られているかも知りたかった。ラップを聴くのが好きだったんだけど、性格的にもラッパーにはなれないと思ったし、どのようなプロセスで作られているか興味を持った。実際にヒップホップのプロデューサーとかと話してみると、大体みんな最初は機材をいじるのが楽しくて続けていたら、気がついたらプロデューサーになっていたという人が多い気がする。
次のページ