秀でるキャストたち×作×演出の化学反応が生む“特別さ”とは
単なる「ファンタジー」ではない傑作、ミュージカル『ダブリンの鐘つきカビ人間』開幕
2024.07.04 18:00
2024.07.04 18:00
今作を特別にする作×演出の化学反応
しかし何より、今回のミュージカル化の成功は、脚色と演出を手掛けたのがウォーリー木下であるということが大きいのだろう。後藤ひろひと作品の魅力は単なる「笑って泣けるファンタジックなストーリー」に収まらないところだが、実は意外と他の演出家が手掛けるのは難しい脚本でもある。
例えば今作でも観客をときに置きざりにするほどのシュールなギャグが印象的だが、もともとこの作品は1996年に後藤が座長をつとめていた劇団「遊気舎」の公演として書き下ろされたもの。たとえば劇中に登場する個性的な「馬」や、笑いつつも観客が「えっ?」と戸惑うようなギャグの部分は、劇団員それぞれへのあて書きや「劇団のカラー」ありきで生まれたものだ。再演のたびにいろいろと細かく調整はされているが、プロデュース公演だと「劇団ならではのお約束」という前提が崩れてしまう分、もとの戯曲にあった面白さをどう再現するかが難しいところだった。
だが、今作はそういった部分が実に違和感なく舞台上に現れていて、客席は何度も笑いに包まれていた。それは後藤ひろひと作品への出演も数多い松尾貴史やコング桑田らのベテランがテンポを作っていたこと、また演出のウォーリー木下自身も出自が関西小劇場界であり、遊気舎や後藤ひろひと作品を以前からよく知っていて、その魅力をよく理解していたことが大きいのでは? と思う。ちなみに、後藤作品ではよく群馬県がネタにされており、今作でもこれまでの再演と変わらず「群馬水産高等学校校歌」が披露される。野暮を承知で解説すると、群馬県に海はないしもちろん水産高校もない。いわば後藤ひろひと版『翔んで埼玉』的なギャグなのだが、今回はミュージカル仕様で朗々と歌い上げられる。往年の小劇場ファンにとってはたまらない場面だ。
会見やプレスリリースでも言及されていたが、そもそも今作のミュージカル化はウォーリー木下自身の発案だったとか。今でこそ「東京2020 パラリンピック」開会式の演出や、帝国劇場の『チャーリーとチョコレート工場』など大舞台の作品演出で知られる彼だが、彼自身が劇団で作・演出を手掛けてきた作品を知っていると、なぜ彼が後藤作品に惹かれたのかはよく理解できる。だからこそ、後藤ひろひと作品の持つまた別の魅力……容赦のない“毒”だったり、人間の醜さ、弱さなどの部分も、今作はけして漂白していない。これは後半の展開でよりあらわになってくるので、ある意味覚悟を持って楽しみにして欲しいところだ。
そうそう、これに言及するのを忘れてはいけない。タイトルにもある“ダブリン”、舞台となっているのは実在のダブリンのようでダブリンではない架空の世界だが、音楽はケルト音楽を基調としたもので、他のミュージカルとは一線を画すもの。作品世界と見事にマッチしているだけでなく、記者会見でもキャストが何度も強調していた“楽曲の良さ”が突出している。後半に向けての酷な展開を、美しく、そして心を揺さぶる楽曲が補強していく……これまでプロデュース公演版を何度も観てきた身でも、こんなに涙腺が緩まされるとは!確かにこの作品はファンタジーであるし、「おとぎ話・寓話」と言えるかもしれない。でもそれだけには収まらない“何か”が観客の胸を打つのは、ミュージカルの力が作品の根幹部分をより補強する、とても幸せな形のミュージカル化が実現しているからだろう。
過去の上演作を知っている人も、もちろん知らない人も、ぜひ今作を生で体感して欲しい。そう全力で言いたくなる作品だ。