イラストレーターとしても活躍する新鋭映画監督の想いに迫る
物語に救われてきたからこそ、今は自分の物語を。武田かりんが描く“いつかくるハッピーエンド”
2023.12.14 17:00
2023.12.14 17:00
何かを作るなら愛されるものを作りたい
──お話を聞いてると、武田さんの人生はさまざまなものに導かれて今に至っていますね。進学された東京工芸大学映像学科映画研究室ではたくさんの人と関わるようになったと思うんですが、いろんな人との関わりや映画作りの現場はいかがでしたか。
最初は刺激的すぎて……。それまでは3人ぐらいの女の子としか関わらないような高校生活だったので、大学に入って男の子も女の子もいっぱいいるし、みんなめっちゃ明るいから(笑)、最初合わせるのは難しいけど、私もそのキャラでいかなきゃって思って明るく振る舞うようにしてました。映画サークルに入って先輩とも仲良くなったんですけど、その先輩が撮影現場にいろいろ誘ってくれて。いわゆる雑用係みたいな感じなんですけど、それでもいいから参加してました。先輩とか同級生と自主制作の映画を作ったりもして。その仲間から逸れたくないから、一生懸命明るく振る舞って雑用をいっぱいやってました(笑)。
──大変だったけど楽しかった?
楽しかったですね。高校生のころは人前でご飯を食べるのが苦手で、人前で食事がうまくできなかったんです。なんか恥ずかしくて……。でも大学に入ったら、撮影終わりに「よし、ラーメン行こうぜ!」とか言われて(笑)。「ラーメンなんて人前で食べれない!」って本当は思ってたんですけど、「いいね、行こう! ラーメン大好き!」とか言ってついて行って。食べてみたら意外と食べれて。大学生活と映画を通して、だんだん明るく振る舞えるようになりましたね。
──武田さんのもう一つの顔、イラストレーターの三枝かりんとしては秋に個展を開催されました。その個展で描くキャラクターを“弱くて、でも本当は強くて、ずるくてかわいい、そんな女の子”にした理由を教えてもらえますか。
個展が決まったとき、ただ可愛いだけじゃないものを描きたくて。もっと女の子って強くいれるものだと思ってて、「女の子は性的に搾取されるもの」として見られるのが嫌だったんです。私は自分のことをいつも猫を被ってて、自分を偽って振る舞っていると感じてるんですが、女の子って結構そうだと思うんですよね。かわい子ぶったりして。私も「かわい子ぶりっこ」ってよくいじめられたんですけど(笑)。でも、それの何がいけなかったんだろう? 人からよく見られたかったりとか、自分を演じたりすることって何がいけないんだろう?と思ってて。そういう女の子の強さやズルさ、そういう部分がかわいいなと私は思ってるんです。
──三枝かりんさんとしては、そういった女の子をずっと描かれてる印象を持ちました。
ずっと女の子を描いているし。それは映画とも似てるんですけど。自分がいいと思っているし、何かを作るなら愛されるものを作りたいって思うので。だから私が思う「愛されるもの」を描いてるんです。こんなことを言ったらよくないと思うんですけど……個展のテーマ“性的搾取”については、“性的搾取”というテーマを若い女である私が描いたらみんな好きでしょ?って、どこか思ったのもあります。みんながかわいいと思うのはどういう絵かなとか、見る人に愛されたくて描いてて。映画も自己満足で終わるんじゃなくて、観客に楽しんでもらうにはどうしたらいいだろうって考えました。
──フォロワーには海外の方もいらっしゃったりするんですか?
多いと思います。個展のときも海外から来てくださる方がいて。台湾から女の子が会いに来てくれました。私は引きこもりだったんで、こんなにたくさんの人と繋がれるんだって思えてうれしいです。
──個展の絵では、アナログにこだわってカラートーンを使われたとか。
足を運んで個展に来てもらうのに、デジタルの絵を出力したものを展示するのではなくて、画面越しじゃ伝わらないものを見てほしい。それに足を運ぶ価値があると思ったので。それまではアナログはあんまり得意じゃなかったんですけど、個展でチャレンジしました。
──絵にも映画の風景にも少しレトロで、80年代っぽい質感とか空気感を感じました。映画の主題歌であるRCサクセションの「君が僕を知ってる」も1981年の曲なんですよね。80年代のカルチャーに触れることが武田さん自身多かったのでしょうか。
たしかに好きですね。音楽とかは今の流行りの歌とかよりもちょっと前の音楽が好きだったりします。父の影響ですね。でも最初から意識してたわけではないんです。映画の舞台がちょっと背景不明なのは、何年ぐらいの話とか、どこの話とか場所を限定したくなくて。いつの時代であってもいいし、どこの場所でもいい。どこにでもいる、いついてもおかしくない、普通の女の子の話にしたかったんですよね。
──武田さん自身も音楽だったりエンタメに助けられた、生かされてるなって思いますか?
思いますね。一番は本に、物語の世界に逃避することが自分の逃げ場所だったし、そういう物語にたくさん救われてきたと思うからこそ、今私は自分の物語を、オリジナルの映画を作りたいって思いました。
──『ブルーを笑えるその日まで』も、誰かにとってそうなるといいですね。
一番の願いですね。『ブルーを笑えるその日まで』は私が作った映画なんですけど、どこかの誰かが「これは私の映画だ」、「僕の映画だ」というふうに思ってもらえたらそれが一番幸せです。
──映画に絡めて最後に。武田さん自身、いま世界は“キラキラ”に見えてますか?
ふふふふ。そうですね、今が一番たのしいです。自分にはアイナみたいな存在は現れなかったし、今もいないんですけど、映画があるし絵は描けるし、そういうのが私にとってのアイナで、それがなかったときのことは考えられないですね。