2023.10.11 19:00
コロナ禍ではじまった2人での活動
──高校の軽音部時代で、今にも生きてる印象的な出会いってありました?
岩井 Tempalayのカバーをやっていた時に私はシンセサイザーで参加していたんですけど、シンセサイザーの音作りを再現しようとしたりして音作りの経験が積まれたと思います。シンセサイザーでバンドに混じっていくアプローチの方法とか。その時が一番セッションとかもしていたので、今よりできてるかもしれないというか(笑)。インプットはたくさんありました。
──総合的なトラックの作り方だったり、差し引きみたいなことをそこで経験されたってことなんですね。
岩井 そうですね。打ち込みと並行して、実際にその場で合わせてシンセサイザーを弾いたりしていたので、バンドでの曲作りは本当に勉強になりました。
──そこでアンサンブルを俯瞰する能力を培っていた感じなんですね。その作業も楽しくやってそうなイメージがあります。髙橋さんは、バンドを客観的に見る立場だったんですか?
髙橋 そうですね。ライブを見に行ってました。その時はLAUSBUBというバンドは一応あったものの、まだライブをしたことがなく、ドラムの有無など体制も微妙でした。そんな中で、莉子が他の先輩とやっていたバンドを見に行ったりしていて、それがとても良かったです。
──その時の音楽性を説明するとどんな感じだったのですか?
岩井 難しいですね。はっぴいえんどのようなクラシックの要素や、Tempalayのような新しい電子音楽を取り入れるような、一言でいうならミクスチャーなんですけど、そういったことをやらせてもらいました。
──作曲を始めたのはその時期だったんですか?
岩井 試しにGarageBandをいじってみたりしていました。バンドの演奏で手が足りない部分を打ち込みで補ったりし始めたのもその頃です。
──その時期に髙橋さんのボーカリストとしての資質にも目をつけていた……?
岩井 そうですね。最初の顔合わせのときから声質がいいなと思っていました。一緒にカラオケに行った時も、自分はあまり歌わずに芽以がどんな声で何を歌うのかを聞いていました(笑)。「こんなに素晴らしい人が隣にいるから、自分で作らないともったいないな」と思って、そこからオリジナルのバンドやプロジェクトをいつか作りたいと思ってました。
──カラオケのとき、髙橋さんは何を歌ったのですか?
髙橋 覚えてないです……莉子が電気グルーヴを歌っていたのは覚えてるんですけど(笑)。
岩井 ボカロとか歌ってた気がする。その時はまだ坂本慎太郎さんにはまる前だもんね。
──坂本慎太郎さんお好きなんですよね。そこからLAUSBUBの構想が具体的になってきたのですね。
岩井 はい、自分のルーツである電気グルーヴやイエロー・マジック・オーケストラ、Cornelius、Buffalo Daughterなどから受けた影響をしっかりとアウトプットしたいなと思い始めました。その時期にコロナ禍でバンド活動が難しくなってきたことも重なりました。
──岩井さんから声をかけたんですか?
岩井 バンドは組んでいる状況ではあったんですけど、(コロナ禍で)学校もなくて時間だけがとにかくあったので、SNSとか使って新しい曲を自分たちでやってみようっていう話はしました。
──髙橋さんはその時のことを覚えていますか?
髙橋 そうですね。ホームページを作ってみたり、LAUSBUBとしての最初の試みはほとんど莉子がやってくれていて、楽しいことに巻き込んでもらってるなと思っていました。
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