2023.03.13 17:00
ダーウィン。
この名前をご存知の方も多いでしょう。
かくいう私もそこまで詳しいわけでもないが勿論聞き馴染みのある名前だ。
まず出てくるのがダーウィンといえば進化論。
進化論の解釈は色々あるであろうし、それは専門著書にお任せするとして、私のピザのウルトラクリスピーくらいうっすい知識でパッとイメージできるのはいわゆる人類の起源と軌跡についてであり、よくみる猿からヒトになるまでのあの絵である。
そこでいつも思うのである。
そろそろこの進化の法則でいったら猫あたり二足歩行してくれないかなと。
めちゃめちゃ賢い猫の代表が猫の集会で司会進行を務め、たまたま夜回りしてる私にどんな理由で集まってるか教えて欲しいものである。
ワンと鳴く犬もそろそろワンのあとにこちらがツーといえば、よもやのスリーと鳴いてほしいのである。お手をしたあとに、いやこれ前脚だしって突っ込んでほしいのである。
ね、こんな楽しそうなことないでしょう。
もはや家族である愛する犬猫と会話をしたいのは人類誰しもが渇望しているところだろう。
まあ彼らにとっても私たちにとってもあのサイズ感とあれくらいの意思疎通が心地よいのかもしれないのでこれまで進化してきてないのかもしれないが。
が、そこで人類である。
またしても土佐の和紙くらいうっすい知識とイメージではヒトかつては猿、そして類人猿へと進化していったと。
ふむふむ。
犬猫はともかく、ではかつて我々の祖先である動物園や野生の彼らの中にもそろそろヒトに一歩近づいてる存在が出てないんだろうかとよく思う。めちゃめちゃガム好きで吐き出すのもったいなくてそのまま飲み込んじゃうとか、スマホで○○動物園、自分の名前でエゴサーチして片っ端からいいねとかしてるやつらがいてもおかしくないんじゃないかと。すでにいたらごめんなさい。昨今のダウンジャケットくらい薄い知識なもので。
そんな事を小さい頃から常日頃思っていた自分が出会った漫画『ダーウィン事変』。
主人公は人間とチンパンジーのハイブリッドとして生まれた“ヒューマンジー”のチャーリー。
彼は人間の家族に育てられいよいよ普通の人間とともに高校生活を送るべく学校へ通うこととなる。
そんな普通の人間としての生活を嘱望するチャーリーの元には、彼をもの珍しく思う輩が幾度となく押しかけ日常を脅かしてくるのである。
そしてそのたびに、彼はハイブリッドのヒューマンジー故の超人的な身体能力を発揮。益々彼らの興味をそそり彼と彼の取り巻く人々は脅威にさらされていくのである。
そして何より深く刻まれた遺伝子的なものなのか、人間に育てられたにも関わらずどうしてもチャーリーにはチンパンジーの本能的思考がすみついているのだ。人間をどこか自分とは違う、ある種ひとつの動物的存在として認識してるように思う。
そんな周りの同級生がその風貌に戸惑いと好奇の目を向ける中、ルーシーというチャーリーに対してただのチャーリーとして接してくれる女の子と出会い人間の感情を育んでいくことになる。
──意識の流れは虐げられた人種からすべての動物へと広がり、そしてすばらしい進化論的な解答へと至る。
物語冒頭に書かれたダーウィンの言葉だ。
これはこれからの多様性と人種というボーダーレスな未来を“ノゾケル”漫画かもしれない。