2022.07.11 07:00
いわゆるJ-ポップとはそもそも違うところを見ていた
──R&B系、歌い上げ系みたいに括られるのは御免だと。
まあ、ライブでは普通に歌い上げますけど(笑)、ヒットのセオリーを持ち込んでやるのは、なんかねえ。アレサとジャニスに影響を受けたものの、それをそのまま自分がやってマッチするとも思っていなかったので。サウンド的な探求心も忘れたくなかったし。
──サウンドに対する拘りを持つようになったのは、デビューしてすぐなんですか?
その前から私はクラブミュージックを中心に聴いていて、クラブミュージックとして知ったものを掘って行くなかで、原曲を知るタイプだったから。当然サウンドに耳が行くわけですよ。で、ビョークが登場して、これは次元の違うかっこよさだなと思って憧れて、当時レコーディングでロンドンへ行く機会が多かったので、彼女のライブを観に行けたりもして。そういうのが自分にとってのメインストリームであって、いわゆるJ-ポップとはそもそも違うところを見ていたわけです。日本だと、フィッシュマンズのサウンドが新しくてすごく聴いていましたね。
──初めにサウンドありき。
個性的なサウンドがあって、そこにヴォーカルが乗ることのかっこよさみたいなものを、いつも目指していました。
──まさしくそこを追求し続けている27年という印象があります。
うん。そうかも。
──6thシングルが『雲がちぎれる時』、7thシングルが『甘い運命』、8thシングルが『悲しみジョニー』、9thシングルが『ミルクティー』。このあたりの曲は今も大事にされていて、ライブでもよく歌われています。『悲しみジョニー』はAJICOのライブでも歌われていましたし。2020年代の今聴いても胸に響いてくる曲ばかりですが、このあたりにはどういった思い入れがありますか?
とにかくその頃はCDもよく売れましたし、時代と自分の出すものがマッチしている感じがあったので、売れないわけがないと思っていた。デビューしてわりと早くにそうなったので、出せば必ずある程度のところまでは売れるものだと思い込んでいたんですよね。それに対するプレッシャーもなくて、前の曲はこういう曲だったから、じゃあ次はどうしてやろうかみたいなことばかり考えていた。『リズム』から『雲がちぎれる時』、『甘い運命』から『悲しみジョニー』、『悲しみジョニー』から『ミルクティー』と、毎回一変してるでしょ。前の自分の曲に対して次はこう、というふうにトンチをきかせることを、すごく意識していたんです。朝本さんともよくご飯を食べにいって、次はどうする?って、最近聴いている音楽をシェアしたりして。
──なるほど。
あ、でも、『甘い運命』と『悲しみジョニー』の間には出産がはさまりまして、そこで人間観とか死生観が変わったりもしたんですよ。『もののけ姫』を観たことや、神戸連続児童殺傷事件があったことにも衝撃を受けて、その影響が『悲しみジョニー』にはあった。
──アルバムで言うと、「11」「アメトラ」ときて、99年に「turbo」を発表。この作品はレゲエ、ダブの色が強かったけど、まだポップさ、親しみやすさはありました。デビューからこの作品までが、メロディアスな曲を歌っていた時代というふうに捉えることができます。
なるほど。そうですね。シングル曲を中心にしながら、その時々のテーマをある程度決めて作っていた時代。
──ところが「turbo」から3年経ってリリースされた4thアルバム「泥棒」で、いきなり音楽性が激変した。オルタナティヴな方向に一気に振り切ったというか。
でも、そのときも振り切っている気分は、まったくないんですよ。前の作品に対して次はどうするかっていうのを、いつも通りやっただけで。ただ、それまでの作品よりも自分でコントロールしてしまったんですね。「turbo」まではコンポーザーもプロデューサーも曲毎に違っていたんですが、「泥棒」ではコンポーザーは何人かいるけど、バンドを固定して、プリプロをバンドでとことん詰めてからレコーディングに向かうやり方をした。自分のこだわりを細部にまで行き渡らせたんです。“自分のアイデンティティを出してやる!”みたいな欲があったんですね。音楽の世界に入って、それが職業になって、いろんなことが一通り見えてきて、手応えも感じていたなかで、何をやったっていいんだと思っていましたから。
(後編に続く)