映画『シンシン アンド ザ マウス』で“宝物になった時間”とは
「一度大切にしたものは、ずっと自分の中にある」岸井ゆきのが役に重ねる過去の経験たち
2026.07.07 19:00
2026.07.07 19:00
のめり込むより、ずっと手をつないでいる感じ
──シンシンと出会うまでの前半パートは、ほとんどちづみ一人のシーンです。台詞もほぼありません。素人目には台詞があるほうが感情をつくりやすい気がしたのですが、ああいう台詞のないシーンってどう気持ちをつくっていくんですか。
そこはもうちづみと一緒に台北の街を見て感じるということに尽きます。ちづみってせっかく頑張って台北まで来たのに、たくさん寝るじゃないですか。そこが好きで。眠いから寝るみたいな体に素直なところとか、窓を開けて携帯電話もさわらずにひと息ついているところとか。人間にはそういう時間が大事なときはあるなと思うので、それをちゃんとやれているちづみはある意味健康で羨ましくも感じましたね。

──ただ街を歩くとか、ただメイクをするとか、そういう無言の行動の中に、母を亡くした喪失感をにじませるのって、めちゃくちゃ難しい気がして。演者はどういうアプローチをしているんですか。何か意識をするのとか、それとももっと淡々とやるのか。
普通生きてて「今私はこういう状態ですよ〜」っていちいち説明しないですよね。どんな状態でも仕事に行くし。暗い顔もできない。それはどの職業でも同じだと思います。だから、意識して“ふり”をするということはないです。
ちづみが母親を亡くして台北に来たということは、現場のチーム全員が共通認識としてわかっていること。なので、あとはもうそのままの私を撮っていただこうと。そこで私に作為があるのはちょっと違うなと思うんです。監督とDOPと私が合わさって、何気ない一瞬の状態が生まれる。そこをとらえるのが映画づくりの面白さ。だから、私はただみんなを信じて、台北の街を見つめていました。
──そもそもですが、ちづみの喪失について岸井さんはどうやってアプローチしようと考えましたか。
ちづみはお母さんのことが大好きで、きっとお互いに自分の一部みたいになっていたと思うんですね。自身の家族との関わりは、もうちょっとそれぞれが個々であるという感覚で。だから、まずはちづみと母親との関係を理解するところから始めました。
私と違って、ちづみはお母さんともっと絡まっている部分があって。お母さんがいなくなったことで、自分の片方がなくなったような気持ちになってしまった。そこに私自身の抱えている喪失だったりを持ち寄るというような感じで、ちづみの気持ちに近づいていきました。

──ということは、演じながらどこかで岸井さん自身が経験した喪失を思い起こすような作業もあったんでしょうか。
思い起こすというよりは、うまく伝わるかわからないですけど、一度持ったら、ずっと大切にしちゃうというか。一度思ったり感じたりしたことは、なくならないと言ったらいいのか……。わざわざ昔のことを思い出して掘り起こさなくても、大切にしていることは常に自分の中にあって。ただそこにある、もともと持っているものをちづみに重ねる、みたいな感じです。
──一度経験したものは、特に意識していなくてもずっと岸井さんの中にあって。役を演じるときに、楽器みたいにそこが反響するというか、反射板みたいになるというイメージですか。
それはありますね。反射するというのは絶対あると思います。
──ということは、我を忘れて役にのめり込むというような演じ方ともちょっと違う感じですか。
そこはお話の内容とか役によります。今回はのめり込むというより、ずっと手をつないでいるという感じでした。

──面白い。そのイメージでいくと、ちづみは自分そのものというより、あくまで別人ですか。
そうですね。役によっては、これは自分の物語だって思うこともあるんですけど、それで言うとちづみは少し距離があったかもしれない。でも、この手は絶対に放さないぞという気持ちでした。
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