初タッグ作『四月の余白』で委ねた「許し」への答えとは
人間は一貫性がないから、不完全に描く。𠮷田恵輔×一ノ瀬ワタルが問う“大人の本質”
2026.07.03 18:00
2026.07.03 18:00
大人は不完全だと子どもに教えなきゃいけない
──個人的には、自分は思春期に暴力をふるわれる側の人間だったので、海斗に怪我をさせられた女の子の気持ちのほうに心情が持っていかれたんですね。映画で加害者側を描く際に、気をつけたことはありますか。
𠮷田 僕はどちら側も知ってるんですよね。やったこともあるし、やられたこともある。たとえば、小学生のとき足が悪くてサッカーができなかったんです。あの頃ってサッカーができる=エラいみたいな感じじゃない? そんな中、僕は女子と一緒にポンポン持って応援している側だったから、よくランドセルを隠されたりして、学校に行くのが嫌だなって時期もありました。
一ノ瀬 えー。そんなことがあったんですか。

𠮷田 でも中学に上がると、うちの中学が荒れてたっていうのもあるけど、今度は武力がすべてになるの。それがわかってたから、俺はもう中学に上がったら絶対ボコボコにしてやるからな、お前らの寿命はあと1年だからな、なんっつって、ぐっと耐えてたね。だから、海斗にひどいことをされた女の子の気持ちもよくわかるんです。僕はこの映画に関しては明確に正解を出さないということを決めていて。体罰の是非も含めて、みんなが考えるきっかけになる映画になればな、と。
一ノ瀬 𠮷田監督の言う通りで、本当にこれぞ観る人に委ねる映画だなと。西も過去に悪いことをしていて、その罪が今も尾を引く形になる。映画だけ観ると、西に感情移入して、「みらいの里」の子どもたちが可哀相だなってなるかもしれないけど、じゃあ10年前の西を主人公にして作品を書いたら、西なんてもう嫌悪感を示すレベルでめちゃくちゃ悪いやつだと思う。人がやったことはいつになったら許されるのか。観てる人たちに答えを聞いてみたいです。
𠮷田 キャンセルカルチャーの話ですよね。俺は、当事者の人がずっと恨みを抱えているのは構わないと思う。家族がひどい目に遭わされた、犯人を一生許さないっていう感情はその人の自由。でも他人の不倫を、配偶者でもない人がいつまでも怒ってる今の世の中はなんなんだろうって思う。まだそのタレントのスポンサーならわかりますよ? でも、全然関係ない人がいつまでも悪口を書き込んでるのは、それただの捌け口になってませんか? みたいな。

──自分も不倫をされたことのある人だったら、わからなくもないですけどね。
𠮷田 それか、したい人? したいけどできない人が、くそーってなってるんじゃないかなって気がする。今って、本当に怒りを持って声を上げている人とそうじゃない人がごっちゃになっているのが良くないなって。しかも、その外野の人の声にまでビビって、なんでもキャンセルしてると、じゃあいつか自分のお子さんが同じ立場になったときに全部キャンセルになってもいいんですか? って気持ちはある。そのうちチャリンコで自動車の右側走っただけで業界から干される日が来るんじゃないかなって。そうなってもおかしくない世の中になりつつあるのが、ちょっと怖いなって思う。
──罪のレベルに対する罰というか社会的制裁が重すぎるんじゃないかというのはあります。
𠮷田 しかも価値観は変わっていくものだから。10年前にこういうことをしていましたというのを今さら蒸し返されても、そのときの価値観ではそれは問題ではなかったみたいなこともあるじゃないですか。この記事もね、わからないですよ、今は大丈夫でも、20年後に読んだら叩かれるかもしれない。

──自転車で右側走るなんてありえないだろ、と。
𠮷田 そう。ちょっと危険な世の中になってるなと。全部が白けりゃいいっていうことでもない気がする。
一ノ瀬 そういう風潮は確かにありますよね。
──一ノ瀬さんの演じた西って、すごく善良そうに笑うんですけど、たまにその笑顔が不気味に見えることがあるんですよね。
𠮷田 人間なんてみんな二面性を持ち合わせている生き物だと思うんですよ。僕はそこがわかりやすい人のほうが信用できる。一ノ瀬さん自身がそうですよね。俺には裏表があまりないまっすぐな人に見える。変な話、もし悪いことをするってなってもまっすぐ悪いことをしそうだなって(笑)。そういう一ノ瀬さんの良さが、西にも出ている気はする。
一ノ瀬 そうですね。ここで西がちょっとブラックな人に見えたらいいなとか、そういうことは一切考えなかったです。とにかくいちばん大事なことは「みらいの里」の子どもたちを愛しまくるということで。何があってもこの子たちだけは見捨てないっていう事を大きな軸としてやってました。

──取材されて浮かれているシーンとか、思わず胡散臭い人だと思ってしまいました(笑)。
一ノ瀬 あははは! これも見え方ですよね。過去にすごい悪いことをしていたことをまるで武勇伝のように語りはじめる人っているじゃないですか。そういう調子に乗っちゃうようなことってあるよねっていう感じを出したかったっていうのはあります。
𠮷田 武勇伝って使い方が難しいんですよね。たとえば俺も昔は暴走族にいて……みたいな話って、「みらいの里」にいるような子どもたちからすると、親近感を抱くワードにもなる。でも、そういう世界で生きていない人からすると、「いつまで言ってるんだ」ってしらける話にもなって。西は頭が良くないから、その使い方を間違えちゃったりするんですよね。
──西に至っては教育者としても決して有能とは言いがたいというか。「みらいの里」の子どもたちに対するケアも十分行き届いているとは言えないですよね。
𠮷田 その通りで不完全なんですよ。決してそこまで立派な人ではない。ただ、熱意はある。熱意があるからテレビに取り上げられたことで浮かれて、子どもたちのことも忘れて酔っ払って帰ってきたりするんだけど、僕は大人って不完全であるということをちゃんと子どもに教えるべきだと思うんですよね。小学校の先生を完璧な人格者であるように思わせようとするけど、そんなわけないじゃないですか。で、そのギャップを子どもたちも見抜くから信用できなくなる。大人だって、親だって、間違いは起こすし八つ当たりもする。たとえおじいちゃんになっても不完全であるってことはもっとちゃんと言ったほうがいいんじゃない? っていう。

──ああ、本当にそれはその通りですね。
𠮷田 でも、たとえ不完全であっても、一生懸命向き合っている。そこが大事なんじゃないかなと思います。
──昨今は、自分も含め主人公の不完全さや未熟さが許せなくて、この主人公にイライラするとか、共感できなくて腹が立つとか、そういう見方が増えている気がします。
𠮷田 あとは一貫性がないキャラクターはダメ、とかね。だけど、昨日言ってたことが今日ガラッと変わってる人なんていっぱいいるじゃないですか。さっきまで笑ってたのに急に機嫌が悪くなることもあるでしょ、人間なんて。そもそも人間に一貫性なんてないんだよ。俺はむしろキャラクターを一貫性を持って描くことのほうが不自然だと思う。もちろん計算がないと、ただの下手くそな映画になっちゃうけど、ある程度計算してやれば、そういう不完全さみたいなものが人間なんだよってことにつながるんじゃないかと思いますね。
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