2024.12.07 18:00
2024.12.07 18:00
主観を鍛えたら第三者目線の視界が開けた
──そうそう。そこはこのアルバムのポイントだと思うんです。だから恋や映画っていうテーマを選び取ったというのも、まさに「引き寄せの法則」じゃないですけど、必然的だった気がするんですよ。というのも、前回のアルバムは『月で読む絵本』だったじゃないですか。絵本はひとりで作れるんですよ。
宮崎 うん。
──でも映画はカメラを通して世界を見ていくという行為で。対象がいるし、ひとりでは作れない。他者とかかわりながらできていくものだっていうのが、今のクジラ夜の街を象徴しているのかなって。
宮崎 ああ、そうですね。自分を見つめるっていう極めて主観的なことをサボらずやった結果、すごく第三者目線の視界が開けた感じがしていて。意外と主観の目線を鍛えることが俯瞰の目線を鍛えることにもつながるんだなというふうに思ったんです。今回の楽曲たちは確かにフィックス感というか、定点で捉えている感じが強いですね。
──佐伯くんはどうですか?
佐伯 秦と似ているんですけど、独特なタイトルが多くて。「ホットドッグ・プラネッタ」とか見たら「なんだろう?」って気になるし、「失恋喫茶」とか「劇情」もそうなんですけど。でも聴いたら歌詞で一発で情景が浮かぶんです。そこはすごいですよね。
──とくに好きな曲名はあります?
佐伯 「ホットドッグ・プラネッタ」ですね。
──みんな好きだね、この曲名。
宮崎 変えようかなと思ってたんですけど、変えなくてよかった。でも映画になりましたね、確かに。今年、映画めっちゃ観たんですよ。今60本くらい観てて。本当は100本くらい観たいんですけど。で、『スーパーマリオ・ザ・ムービー』を観て、当たり前なんですけど、より深いところで「これ。僕作れないな」と思ったんです。っていうのも、あれ教訓ないんですよ。まったくリアルと結びつかない。とにかく面白いことだけをしてるんです。でもあれってファンタジーの1個の正解だと思うんですよね。完全な現実逃避というか、もうメッセージ性とかテーマ性なんて知るかって。ただただマリオたちが楽しいことをしていて、「クッパを倒せ」みたいな。僕はこれ作れないんだなと思ったんです。
僕はそっちではなく、やっぱりファンタジーの中に何を隠すか、現実の皮肉をどう織り混ぜるかっていうことしか、逆にできない。キラキラしているだけの世界は作れないんだっていう気持ちがやっぱ強かったので……この曲たちは全部上っ面では現実離れしていることを歌っているように見えるし、架空の箱物を立てているように見えるけど、中身では嘘なくリアルなことを歌っているというバランスがやっぱり自分だなと思います。
──うん。ファンタジーを謳っているバンドが最後に「せいかつかん」という曲でアルバムを終えるっていうのはすごい。
宮崎 そうですね。この曲の〈ボヤったリアルの中で/きみだけ確かな夢だった〉っていう歌詞が好きなんですけど、ここは結構クジラ夜の街を象徴しているかなって。
──うん、言い当てている感じがしますよね。
宮崎 あと、生活、リアルなことを最後は歌にしてみたかったというのがすごくあったので。「それだけ」と「せいかつかん」はとくにファンタジーからの脱皮みたいなところを……ちょっと見せすぎちゃってるところもあるんですけど、伝わればいいなっていう。露骨すぎるくらいにやっちゃってるけど、聴いてくれる人はちゃんとわかってくれるかな、と思います。
──ちなみに一晴くん、映画たくさん観ているっておっしゃいましたけど、どんな映画が好きなんですか?
宮崎 結構ざっくばらんに見るんですけど、洋画よりは邦画の方が好きですね。やっぱり字幕とか吹き替えになると、どうしても最も新鮮な状態から遠のくじゃないですか。なので邦画の方が好きで……もともとは結構大衆的なものを観てたんですけど、昨日は『地獄のSE』っていう映画をポレポレ東中野に観に行って。ものすごい世界観というか、低予算ながらセンセーショナルな映画みたいなのに触れましたし、結構広がったかもしれないですね。でもホラーはあんまり観ないかもしれないです。
──そうなんだ。ホラーもファンタジーだけどね。
宮崎 そうなんですよね。だから、次はちょっとホラーに手を出したいと思ってます。全然詳しくないんで。
──そういうところから曲のインスピレーションを受けることもあるんですか?
宮崎 やっぱり思いますね。インスピレーションって紐解くのすごく難しいんですけど、絶対受けてるんですよ、無意識に。あ、でもドライな映画の方が好きです、質感が。っていうのは、恋愛映画だった場合、登場人物にあまり泣いてほしくないんですよね。感情を表に出さないでやってる、淡々としてる映画が好きで。『ドライブ・マイ・カー』とかが誰も感情を表に出さないというか、すごい奥のところで演技をしてるじゃないですか。ああいうのがすごい好きですね。なんか棒読みなくらいの方が好きで、それは結構クジラ夜の街のMCとかにも実は出てます。僕って結構物語を語るんですけど、感情を込めて喋ってないんですよ。あえて結構棒読みっぽく喋ってるんです。「失恋喫茶」とか「ホットドッグ・プラネッタ」みたいな曲も、感情を出しすぎてないくらいの熱処理がすごく好きなんですよね。でも「それだけ」っていう楽曲は17歳の時に書いた歌詞だから、感情を表に出してるんですよ。そこの対比がちょっとおもしろかった。
──確かに「それだけ」はだだ漏れな感じがしますよね。
宮崎 そうですね。これは17の時に書いていて、背伸び全くしてないし、その時の全力だなって感じがするので。アルバムの中でいい差し色になってくれてるなって感じがします。
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