2024.10.15 19:00
2024.10.15 19:00
これからは俳優も発信しなきゃいけない
──映画は監督のものとよく言われますが、顔になるのはやはり俳優。作品のメッセージや責任を背負って立つ部分が非常に多いポジションだなと感じます。
確かに映画は監督のものとよく言われますが、僕自身はみんなでつくっているものだと考えているんですね。俳優部がいて、照明部がいて、その他いろんな部署がいて、監督は演出部の長という立場であって、映画そのものはたくさんの部が集まって初めて成り立つもの。
どうしても露出するのは俳優なので、作品が良かったときも悪かったときも俳優で判断されてしまうところがあるんですけど、僕はそれがちょっと悲しくて。それはドラマも一緒です。視聴率が悪かったのはこの主演俳優のせいだ、みたいなのは違うと思う。
参加した以上、作品についての責任はどの部署も等しく持つべきだと考えています。だから、みんな気を抜いちゃいけないし甘えちゃいけない。
──俳優は受け身と言われることが多いですが、今のお話を聞く限り、磯村さんはあまりそう認識してはいない。
認識していないですね。ちゃんと参加できるところはしっかり参加するべきだと思っているし、なんなら脚本打ち(合わせ)から参加してもいいと思っていて。もちろんそこのバランスはちゃんと考えながらですけど、これからの時代、役者は受け身だけでやっていくのは難しいんじゃないかなって。自分たちがちゃんと発信していかない限り、理不尽にやられていくと思います。
──そういう意味でも、作品のメッセージをどれだけ理解し、ちゃんと伝えられるかというところも、今、俳優のみなさんには問われている気がします。
それはあると思います。なので、ちゃんと自分が出る作品をしっかり見ていかないとなって。そうしないと、今まで積み上げてきたものが崩れてしまう。僕は、新しい作品に参加するときに、これまで出てきた作品を汚したくないなという思いがあって。キャリアを積んできて、作品選びは慎重にしていかないといけないなという気持ちはますます強くなってきました。
──今や俳優として着実に足場を築き上げ、駆け出しの頃のように表現の場がないみたいな飢えは減ってきていると思うんですね。だからと言って満足しているのかと言ったらそうでもないと思いますし。今、ご自身の表現に対する欲というのはどういう状態ですか。
やればやるほど、わからなくなってきました(笑)。満たされているわけでもないし、すり減っているわけでもないような感じではありますね。
ただ、自分の表現の仕方ってベースは同じだと思うんですよね。台詞回しとか、間(ま)のとり方とか、みんなそれぞれ得意なスタイルがあって。たとえばAというスタイルが評価されて、賞を獲ったとして、じゃあそのAというスタイルをやり続けていいのかっていう疑問はちょっと感じています。
もちろんやり続けることで、安定してより良いものが生まれるかもしれない。でも、もっと違う表現を見出して、結果、それが良くない評価だとしてもトライするべきなんじゃないかとか。そういう選択肢が今いろいろ自分の頭の中で駆け巡っているんですよね。ここまでやってきて、自分なりのスタイルを一つ見つけられた気はします。でも、それだけに頼りたくないなという自分もいたりするんで、そう考えたらまだまだ欲を持って芝居しているのかもしれないです。
──今日は貴重なお話をありがとうございました。とても面白かったです。最後にちょっとだけライトな話題を聞かせてください。今、磯村さんが注目しているクリエイターっていますか。
d4vd(デイヴィッド)ですかね。もともとYouTubeでゲーム配信をやっていて。ある日音楽を自分でつくって、それをSNSにあげたら大バズりして。そこから若き現代アーティストとして活躍されているんですけど、めちゃくちゃ音がいいんですよ。音のつくりが若いのに、古くて面白い。注目しています。
『若き見知らぬ者たち』場面写真 ©︎2024 The Young Strangers Film Partners