“稀有な才能たち”が融合した存在感溢れる舞台の見どころは
香取慎吾が”寺山修司の世界”で演じ、歌う!舞台『テラヤマキャバレー』開幕
2024.02.10 15:00
2024.02.10 15:00
なんと猥雑で、美しくて、ユーモアにあふれて楽しい”キャバレー”なのだろう! 香取慎吾主演『テラヤマキャバレー』が2月9日、日生劇場で幕を開けた。それに先立ち2月8日、公開舞台稽古と記者会見が行われた。
そのタイトルの通り、今作のモチーフでありテーマは「寺山修司」。没後40年を迎え、その稀有な才能に再び注目が集まる寺山修司がもし今生きていたら、何を思い、何を表現したのか? 今作はそんな発想から立ち上がったという。
1983年5月3日火曜日、寺山修司(香取慎吾)はまもなくその生涯を終えようとしていた。寺山の脳内では、彼を慕う劇団員がキャバレーに集まっている。寺山が戯曲『手紙』のリハーサルを劇団員と始めたところへ、「死」(凪七瑠海)が彼のもとにやってきた。死ぬのはまだ早いと、リハーサルを続けようとする寺山。死は彼に日が昇るまでの時間と、過去や未来へと自由に飛べるマッチ3本を与える。その代わりに感動する芝居を見せてくれ、と……。
劇作家であり、演出家であり、歌人であり、詩人であり、映画監督であり……というマルチクリエイターで、今私たちが享受している多くのエンターテインメントに多大なる影響を与えている寺山修司という存在。今も彼にまつわる作品は多く上演されるが、多くの場合は彼の残した戯曲の上演だったり、彼が率いた劇団「天井桟敷」に関わってきた人々が、その世界観を継承して……ということが多い。
しかし今作は、演出はウエストエンドやブロードウェイで活躍する世界的な演出家であり、日本での作品創作も数多いデヴィッド・ルヴォー。脚本は劇団「ゆうめい」での活動のみならず、アニメやドラマの脚本などでも活動する若きクリエイター、池田亮。そして主演は香取慎吾。この、ある意味「寺山修司という存在からは遠い」3者が、寺山修司という存在に挑んだ結果、そこにあったのは「かつてない寺山ワールド」だった。
前述のあらすじを読むと、知っている人はいかにもアングラな”寺山修司的”なものを想像するかもしれないか、実際の舞台の感触はおそらくそれとは違う。とかく好き勝手に振る舞う劇団員たちに振り回される寺山の姿はかなりコミカルで、舞台はかなり笑いに溢れている。そして間に挟まれるのは『時には母のない子のように』『あしたのジョー』『もう頬杖はつかない』など、寺山修司が作詞した名曲の数々。香取慎吾をはじめ、登場人物たちが歌い上げるそれら楽曲のなんと魅力的なことよ! いかにもキャバレーらしく、生バンドの演奏をバックに披露されるそれらの楽曲に浸るだけで、なんとも楽しい気分になる。
そして、その間に挟まれる「寺山修司の残した言葉」が、観るものの心に突き刺さる。1本目のマッチでは近松門左衛門による人形浄瑠璃『曽根崎心中』の稽古場に飛び、2本目のマッチでは近未来、2024年の歌舞伎町に飛ぶ。家出少女、エセ寺山修司を語るホストらがたむろするこの場所に、寺山修司が残した「言葉」は残っていないし、届かない。その現実を嘆く寺山修司。彼が言葉を届けたかったのは、そういった拠り所がない、孤独な人たちだったはずなのに……だ。
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