5年ぶりに来日果たしたニューヨーク音楽シーンの象徴
INTERPOLのギタリスト・Daniel Kesslerが語る、20年以上不変のマインドと革新的最新作
2024.01.07 17:00
INTERPOL 2023年11月30日神田スクエアホール公演より
2024.01.07 17:00
20年以上にわたり、ポストパンク/インディロックシーンの前線で活躍を続けるアメリカのバンド・INTERPOL(インターポール)。2022年にリリースした最新作『The Other Side of Make-Believe』を引っ提げ、昨冬5年ぶりに来日を果たした。本稿はギタリストのDaniel Kesslerが「特に思い入れが深い」という日本への想いから、バンドのスタイルやアティチュード、そして『The Other Side of Make-Believe』の制作風景までをBezzyだけに語ってくれたロングインタビューである。結成当初から変わることのない、彼らの精神と美学の真髄とは。
日本ならではの感覚やインスピレーション
──5年振りの来日ですが、2018年の日本(東京)と2023年の東京で何か違いは感じましたか? それともいつも通りの日本でしたか?
興味深い質問だね。俺にとって日本という国は特に思い入れが深い国だから、毎回日本に行く度に、日本に行く機会を与えてもらえて日本に滞在することができる自分は恵まれていると感じるんだ。今回は特に、ここ5年間世界で起きた出来事の影響でなかなか来日できなかったこともあって、来日できたこと自体に感謝の気持ちでいっぱいだったよ。以前の感じと比べるのは難しいけれど、今回は、とにかく日本での全ての体験を吸収したいと思ったね。日本を去りたくなかったくらいだよ。正直な話、帰国日が近づくにつれて悲しくなってきたんだ。だからプライベートでまた日本に行く計画を近いうちに立てる。それくらい日本には思い入れがあるんだ。今回の印象としては、東京はすごく活気があって、過去の滞在でも感じていた東京らしさみたいなものを今回も感じられて、「ああ、東京ってこんな感じだったな」と記憶が蘇った感じがしたよ。とにかく、また日本に来ることができてすごく嬉しかった。
──初来日が2003年のサマーソニックなので、ちょうど20年が経ちました。2003年の日本(東京)と2023年の日本(東京)の違いを、何か肌で感じる事はありましたか?
まず言えることは、初めて日本に行く体験というのは、とにかく色々なものや景色に圧倒されてしまって、吸収することが多すぎるという状態なんだ。だから最初に来日した時と今回を比べるのは難しい。今回はある程度の馴染みがあって、東京の街からは以前感じたインスピレーションと同じようなものを感じる。もちろん新しい発見もあるんだけどね。でも初めての時は、全てが新しい発見ということになる。だから、自分が日本に来れたことが信じられないと思っていて、「ワーオ!」と周りを見渡している状態(笑)。素晴らしい体験だよ。俺の場合はしかも、音楽を演奏するために日本に招待されて来ることができたという、すごく特別な体験だった。今回、5年ぶりに日本に来ることができて、東京や日本の街を歩いて思ったのは、東京(日本)でしか味わえない感覚やインスピレーションというものが確かにあることを、再認識したということだね。
──ご出身のニューヨークの話も伺いたいのですが、デビューの2002年から現在にかけて、ニューヨークはどの様に移り変わり、街の変化はバンドの音楽に何か影響を及ぼしましたか?
ニューヨークは大きく変わったよ。だが、同時にニューヨークは、「進化・変化」の街であり、あまり「忠実(loyal)」な街というわけではないんだ。何の悪気もなく、好き勝手に進化・変化していく街なんだ。ニューヨークという街は昔からそうだったし、今後もそうであり続けるということを、住んでいる俺たちも受け入れた方が生活しやすいと思う。ただ、ここ20年の変化は、今までで最も早いペースで変化してきたのではないかと思うよ。例えば、マンハッタンはすごく狭いエリアなんだけど、昔は色々な階級の人やアーティストたちが住んでいた。でも今マンハッタンに住みたいのなら、ある一定以上の所得階級の人じゃないと無理だ。そういう意味で多様性は失われていると思う。マンハッタンの中には、ジェントリフィケーションや美化が進んでいる地域もあって、その開発は目覚ましいものだ。そのような変化は、20年前には想像もつかなかったものだと思う。でも、最初に言ったように、ニューヨークは進化の街であり、とにかく前進していく街なんだ。だから俺にとってはそんなに驚きではない。
変化したことには驚かないけれど、変化の仕方については驚いたね。とは言え、俺はニューヨークの雰囲気が今でも大好きだし、自分の人生で1番長く住んできたのがニューヨークだ。インターポールというバンドはこの街で誕生し、俺は今でもこの街に影響を受け続けている。家を一歩出れば、ここには何でも揃っている。公共の交通手段はあるけれど、それを使わなくても、歩いてほとんどのエリアに行けるし、街を歩くことで街の活気を感じることができる。その活気はニューヨーク特有のもので、今もこの先も変わらずあるものだと思う。俺はここで作曲するのが好きだし、バンドの音楽もその大部分がニューヨークで作られたものだけど、ニューヨークで作曲活動を始めた当初は俺も苦労したよ。街はいつもうるさくて、すべてが騒々しくて、気が散ってばかりいたんだ。でも街の騒音をブロックアウトする術を学びさえすれば、街から受ける刺激を作曲に取り入れることができるから、街をうまく活用することができる。ニューヨークは俺の故郷だから、あの街が俺の音楽にどういう影響を与えてきたのかを説明するのは難しいけれど、今まで1番長く住んできた街だから安心感があるんだよ。実際は、かなり住みにくい街ではあるんだけど(笑)。
──Bezzyは若い読者の方も多いので、インターポールという個性的なバンド名の由来を教えて下さい。
実はインターポールという名前に決定するまで、結構大変だったんだよ。たしかポールが提案した名前だったと思う。俺の記憶が正しければ、ポールがスペインに住んでいた頃、彼は高校生くらいだったんだけど、スペインのクラスメイトたちがポールのことを(スペイン訛りのアクセントで)「ポール、ポール、インターポール」とふざけて呼んだらしいんだ(笑)。すごくバカみたいな話なんだけど、ポールはそれを覚えていて、バンドメイトの俺たちに提案してくれたんだ。俺たちはその当時からステージではスーツを着ていて、ルックスも統一されていたから、インターポール(特殊警察)みたいな謎めいた、秘密めいた感じがバンドに合うと思ったんだ。それでバンド名としてみんなが賛成したのさ。
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