主演映画『緑のざわめき』を経て思う役者としての在り方
嘘をつかない、わかったふりをしない。松井玲奈が選んだ、違う人生を演じるためのアプローチ
2023.09.12 17:30
2023.09.12 17:30
福岡と佐賀を舞台に、3人の異母姉妹が織りなす物語を描いた映画『緑のざわめき』。体調を壊し故郷に戻ってきた女優である主人公・小山田響子を演じたのは、近年『よだかの片想い』や『幕が下りたら会いましょう』など、主演作で高い評価を得ている松井玲奈。今作をはじめとした同世代の女性監督たちとの作品づくりで実感したことや、役者業以外の「創作活動」について……注目作への出演が続く彼女が、今感じていることとは。
バックボーンを知ってから臨んだ今回の役
──最初に出演のお話が来たときの印象は?
オファーをいただいて、まず脚本を読ませていただいたんですけど、なんだか人間模様が複雑なお話だなと。その後、監督の夏都さんとお会いしてお話をさせていただいたんです。そのとき、これは人と人との関わりの物語で、ファミリーツリーや葉っぱの葉脈のイメージのようなものがこの作品にはあり、一つの場所から生まれている人々だけどその関わり方、ありようというのが木々の葉みたいに繋がっている。それが三姉妹の繋がりにも影響してくる……そんなお話を聞いたときに、自分の中でも腑に落ちるところがあったんですよ。その「人と人との物語」を、私も監督と一緒に描いていきたい。そう思い、ぜひ出演させてくださいとお返事しました。ただ、最初にいただいた脚本がおよそ4時間分くらいの「『ロード・オブ・ザ・リング』かな!?」みたいな壮大なもので……読んでも読んでも終わらなくて(笑)。
──そうだったんですか!? では、実際に完成した映画ではカットされた部分が多い、ということなのでしょうか。
そうなんです。でもある意味、最初にその「そぎ落としていない」もの、要は一番やりたいことを先に提示していただいたおかげで、映画には描かれていないそれぞれのキャラクターのバックボーンも事前に知ることができたんですよ。役に対する理解というか、知っておきたかった情報みたいなものが全てそこには織り込まれていたんですね。その中でも「特に監督が描きたい、表現したい部分」というものが最終的な脚本になり、作品になったというイメージです。キャラクター表みたいな資料も頂いたんですよ。何年に東京に出て、いつ病気になって……という年表のようなものが書いてあったり。なかなかそういうことまでしていただけることは少ないので、ありがたかったです。
──映画を観ると、あえて観客には役のバックボーンが少しずつしかわからないような構成になっている印象だったのですが、役者さんたちには事前にそこまで共有されていたのですね。その上で、響子という役に対して意識されたことは?
私自身が響子と全く違う人生を歩んできていて、わかることというか、「完全に理解できること」がなく……でも「わからない」で終わらせてしまうのではなくて、彼女に寄り添う気持ちをもちながら、いただいた資料や脚本を読み込み、どう表現できるかを考えていきました。それでも、やっぱり全てを理解することはできなくて。だからこそ、異母妹役の岡崎紗絵さんや倉島颯良さんと一緒にお芝居をする、その現場で出てきた感情を軸にして演じていきましたね。
──「完全に理解できること」がないというのは、具体的にどういう部分だったんでしょう?
共感できる部分もあるんです。ただ、彼女のように片親だったり、いなくなった父親が事情を抱えていたり、病気を患っていたり、女優を辞めたいと思っていたり……。私には家族がいるし、病気もしていないし、女優の仕事もまだ続けられている、そう並べてみると、人生の歩んできた道のりが響子という役とは完全に枝わかれしているんですよね。だからこそ、それを「わかったつもりになっては駄目だな」と思ったんです。でも、彼女のことをできるだけ理解しようという姿勢はもちろんあるので、実際に役として妹役の2人と対峙したときに出てくるものを大切にしよう……そういう考えですね。
──「わかったつもりになってはいけない」という感覚になったのはなぜなのでしょうか?
もちろん、演じる役によってそれも違うんですよ。共感が必要な役もあれば、「自分でありすぎてはいけない」役もある。ただ今回の響子に関しては、想像できる範囲でやって駄目だなっていうのを強く感じたんですよね。ただ、「わからない」ままでは演じることはできないので、どうしたら少しでも理解できるようになるのかと思ったときに、たとえば友達の話を聞いて「理解する」ことはできるじゃないですか。どういうことが起きていて、そのとき彼女はどう思ったのかを理解していく。そういうアプローチの仕方でやってみたら、もしかしたら響子という人を演じられるかもしれないな、と。
──でも演じる上では、キャラクターとして決めつけてしまったほうがきっと「楽」ですよね?
楽ですね。ただ、そう思ったのには理由があって。この作品の中には、色んな方の経験も入っているという話をしていただいたんです。そうなったときに、この作品で描かれていることには当事者がいることなので、「わかったふり」で演じることにより傷ついてしまう人がいるかもしれない。それは一番やってはいけないことだな、と思ったんですよ。だからこそ、響子という役を演じる上では彼女のバックボーンをあえて意識しないというか……人生で経験してきたこととか環境ってみんなそれぞれにあるじゃないですか。かといって、常にそれを背負っているわけでもなく、意外とニュートラルな状態でみんな生きていて。でももちろんバックボーンはあるから、ふとした局面にその人を形作っているそういうものがポンと出てくる……そういう形で演じる選択を今回はしました。
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