2022.07.19 07:00
2000年リリースの4thアルバム「泥棒」以降、オルタナティヴな表現方法で内観と祈りの旅を続けてきたUA。その旅はどのようなもので、どこへ辿り着き、そこからいかにしてポップでカラフルな新EP「Are U Romamtic?」が誕生するまでに至ったのか。インタビューの「前編」では、歌を始めた頃のことから90年代の終わりまでの話を紹介したが、「後編」では「泥棒」から現在までを追っていこう。
次に私はどうするんだ?という問いがあった
──4thアルバム「泥棒」はサウンドの変化に加え、ジャケットの写真もインパクトがありました。
あれはモデルにした絵があって、MOMAに飾られているアンドリュー・ワイエスの『クリスティーナの世界』なんです。ピンクのワンピースを着た女性が草原に後ろ向きで横たわって丘の上の納屋を見上げている絵で、ワイエスのこの目線はなんなんだろうって考えたんですよ。まるで神の目線のように、俯瞰で捉えている。実は当初、アルバムのタイトルを「俯瞰」にしようと思っていて、『閃光』はまさにそのテーマで書かれた曲だったんです。で、ジャケットでもその絵の感じをやりたいと言ったんですが、「UA、アルバムのジャケットだから、後ろは向かないで」と言われ、前を向いた結果、「俯瞰」どころかエゴが突出したようなものになったという(笑)。
──はははは。なるほど。
レコード会社はそれまでと変わらず宣伝費をかけてくださって。神話的、寓話的、獣人的なアプローチのジャケットは、あの当時にはとんでもない格好だったようで、それが青山通りのスーパーのビルの壁の巨大なサインボードなんかに貼られてね。そういうビジュアルや音楽性の変革に、デビュー前からの友達から「一体どうしちゃったんだ?!」と怒られたりして(笑)。もちろん私は真剣だし、何をやってもいいんだと自信を持ってやっていたわけです。ところがどっこい、「泥棒」はそれまでのアルバムと桁違いに売れなくて、「ええ?!」となった。自分では、すぐにはなんでかわからなかったですね。前と変わらず真剣にやっているのに、おかしいな〜、なんて思って。今ならはっきりわかりますけど(笑)。
──3rdアルバム「turbo」のリリースが1999年10月で、「泥棒」が2002年9月。その3年の間にはAJICOの活動もありましたが、「泥棒」からグッとオルタナティヴな表現に傾いていったのはどういう心境からだったんですか?
デビューして、振り返る時間もないまま物事がどんどん進んでいって。CDを出せば売れて、映画(UA主演の『水の女』。2002年公開)という別の現場も経験して、AJICOでバンドも経験した。じゃあ、次に私はどうするんだ?という問いかけがあったんですよ。それで、自分を掘り下げ始めるわけです。自分は本当に音楽家として相応しいのか、とかね。まだ一生歌っていきたいのかどうかもわからなかったし。年齢的にも30になる頃で、お酒もすごく飲んでいて、不摂生な生活が続いていた。肉体的にも疲れが目立ち、ちょっと鬱っぽい傾向にもなっていて。食を変えるタイミングだなとも思った。非常に内省的だったんです。
──それが音楽性に反映された。
それとあと、その頃にシュタイナー教育(*子ども一人ひとりが最大限に能力を活用できるよう個性の尊重を重視した教育法。オーストリアの哲学者ルドルフ・シュタイナーが提唱)と出会ったのも大きいんですよ。息子の虹郎くんが小学校にあがるタイミングで出会って、当時三鷹にあったシュタイナー学校を見に行って私自身がその勉強を始めたら、人間にはいかにメルヘンやファンタジーの力が必要か、そうしたものがどれだけ子供時代を守るかということを知ることができた。それと同時に自分は守られていなかったなということも明らかになって。私は子供時代の自分を認めるためにも、もっと闇の部分を出していいんだと思ったんです。「泥棒」はそういう自分の扉を開いた作品でした。
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