2026.10.07 19:00
2026.10.07 19:00
がむしゃらに周りについていくだけで必死だった1年目。技術と気持ちの狭間で自分を見失いかけた日々。ステージが組み上がっていく光景を目にして「自分の歌は一人では届かない」と思い知らされた瞬間。数々の葛藤と気づきを重ねながら、加藤和樹はアーティストとして20年を歩んできた。
約3ヵ月で巡った47都道府県ツアーを経て、この9月にはミニアルバム『SMASH BOX』をリリース。20周年を迎えてもなお「まだまだ足りない」という加藤に、これまでの歩みと、それを踏まえた今と未来を聞いた。

歌えていること、その事実がうれしい
──加藤さんは今年、アーティストデビュー20周年を迎えました。20周年を迎えた現在の心境を教えてください。
不思議な感じです。20年ってやっぱり長いじゃないですか。僕、甥っ子が20歳になったんですけど「そうだよな、人が成人するのが20年なんだよな」と。そう思うと、20年同じことをやり続けられるってすごく幸せなことだなと感じています。あっという間といえばあっという間ですし、長かったといえば長かった。不思議な感じです。
──デビュー時、20年後のイメージは何かありましたか?
全くなかったです。考える余裕がなかったんです。デビューといっても、その前に音楽活動をしていたわけではないので、本当にゼロからのスタートで。レコーディングもライブも、全てが初めてのことだらけでした。ミュージカル『テニスの王子様』には出ていましたが、ステージで1人で歌う経験はなかったし。デビューしてから最初の1〜2年は記憶がないくらい怒涛で、周りについていくのに必死でした。
──必死な状態で始まって20年間続けられたわけですが、ご自身のアーティスト像が固まったタイミングや、音楽に対する考え方が変わったタイミングはありますか?
一つターニングポイントになったのは、2周年のときにやった日本武道館のライブ。ライブの前日に、ステージが組み上がるところを見学しに行かせていただいたんです。そこでは、本当にたくさんの人たちがステージを作ってくださっていて。おそらく僕の存在も知らないような人もいたと思う。その様子を見て「自分がライブをやるということは、これだけ多くの人が関わることなんだ」と思い知らされたんです。ちょうど武道館公演のために「Chain Of Love」という、人のつながりを歌った曲を作ってきたんですが、改めて「ファンの皆さんとのつながりを大切にしたい」とかそういう思いを届ける歌い手にならなきゃと思いました。

──それは大きな経験ですね。
その経験があったので、武道館公演が終わったあと「自分でセッティングもするので機材車ツアーをやりたいです」と言って、ツアーを行いました。それもすごく大きなことだったなと思います。
──その経験を経て、歌うものや届ける気持ちは変わりましたか?
そのツアーをしたことで、改めて「自分の活動は人の応援や助け、支えで成り立っているんだ」と強く感じました。だから「自分は楽をしちゃいけない。スタッフやその周りの人たちの苦労をちゃんと背負って歌わなきゃいけない」という覚悟が芽生えました。周りについていくだけで必死だったそれまでとは違って、ようやくアーティストとして立てるようになった、そのきっかけになりました。
──そういうことを一つ一つ感じ取って、行動に反映していらっしゃるからこそ、20年続けられているのかもしれないですね。
僕の好きな言葉は「やればできる」。でも、僕はすぐにサボっちゃうし、作業を後回しにしがち。それでも一歩一歩、後悔と反省を重ねながら進んでいく。そんな自分の性格はよくわかっているので。だから自分らしくマイペースに進んでいると思います。
──ちゃんと自分に合った活動の方法を見つけながら。
マネージャーが自分の性格をよくわかっているので、たまにお尻を叩かれることもあるんですけどね(笑)。でもそうやって信頼できる人やチームがいてくれるから、続けられているんだと思います。チームもバンドメンバーもほぼ変わらずにできていますから。本当に自分は人に恵まれているなと思います。
──20年のなかで、特にうれしかったステージや音楽にまつわる出来事を教えてください。
そもそも、歌えていること、その事実がうれしいです。自分のやりたいことができるって簡単なことではないじゃないですか。自分は10代の頃もともと何の目標もなく生きていたんですが、ザ・ベイビースターズの「去りゆく君へ」という曲と出会って「音楽をやりたい」と思った。その後デビューが決まったわけですが、歌えている喜びは、当時からずっと変わらずにずっとあり続けています。
──では逆に、20年のなかで、特に辛い、もしくは苦しかった音楽にまつわる出来事を教えてください。
やっぱり最初の1年ですかね。本当に苦しくて、途中で投げ出そうかと思ったこともあります。歌いたいというイメージはあるのに、いざレコーディングしたものを聴くとものすごく下手で、「こんなんじゃ届かない」と自分の不甲斐なさに嫌気がさしました。そのとき「自分にしかできないことは何だろう」と考えて、とにかく言葉を届けたいんだなと気づいたんです。そのためには歌がうまくならないといけないんですが、うまく歌おうとすると気持ちよりも技術に考えがいって気持ちがこもらないし、感情を込めようとすると今度は音がずれちゃったりする。その狭間で悩みました。
──その苦しかった1年目は、どのように乗り越えたのでしょうか?
乗り越えなかったんだと思います。とにかく必死にそのままやるしかなかった。レコーディングもライブも、目の前のことに全身全霊で向き合うだけ。MCも苦手だったし、そんな僕の姿を見て、ファンの方が「頑張れ〜」って応援の声をかけてくれることが多かったんです。一時期はそれに対して「本来は自分が励ましたり応援したりする側なはずなのに」というつらさも感じていました。

──そうですよね。
このままじゃダメだと思ったのが7周年くらいのときで、ファンとの関係が自分のなかで見えてきたタイミングでした。「自分が引っ張っていく」という気持ちはもちろん大事なんですけど、それよりも「応援してくれるみんなと一緒に歩むんだ」っていう気持ちが芽生えたんです。
──その意識の変化はどうして起きたのでしょうか?
年齢を重ねたこともあるし、いろいろな人との出会いを経て、「自分自身が支えてもらったぶん、もっと返さなきゃ」と思うようになったんだと思います。あとは30歳手前くらいでミュージカルに出会って、もう一度歌と向き合ったこともものすごく大きかったと思います。
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