“遠い説話”を現代に投影した白井晃演出×俳優陣の魅力とは
その遍歴は、混沌とした世界を生きるための啓示となる。草彅剛主演舞台『シッダールタ』開幕
2025.11.19 20:30
2025.11.19 20:30
舞台上のシッダールタが映し出す現代人の姿
しかし何と言っても、その中心に立つシッダールタ役・草彅剛の凄まじさ、だ。上記のような舞台美術と演出のなか、彼が走り、止まり、動いていく瞬間のしなやかさ、鮮やかさといったら! 長らくエンターテインメントの第一線を走り続けて来た人であるのは言わずもがなだが、彼が舞台俳優として多くの演出家に愛され、高い評価を得てきたのはその演技力と同時に、彼の持つ“特権的な肉体”とも言える身体性ではなかったか?……そのことを改めて実感させられる。
今まさに放送中のドラマ『終幕のロンド』の役柄でもそうなのだが、草彅剛という俳優の魅力の1つに「無垢さ」が似合う、というのがある。人間臭い部分と無垢さを自在に演じ分け、特に無垢さにおいてはあれだけのキャリアを持つ人ながら、未だに失わないのには驚かされるくらいだ。そして今作のシッダールタという役は、彼でなければ成立しなかったのでは? という役柄だ。

ヘルマン・ヘッセの原作『シッダールタ』は、主人公の名前こそ仏教の開祖として知られる「ゴータマ・シッダールタ(=ブッダ)」と同じだが、作中にブッダも登場することからわかるように、この作品ではブッダとは別人として描かれる。シッダールタがたどる旅の道筋は、私たちが今知ることができる「ブッダが悟りを開くまで」のプロセスと非常に似ている。ただ、今作ではシッダールタという一人の若者が出会う物語として描くことで、それは「仏教の説話」ではなく、誰もが人生という旅の遍歴の中で出会う悩みや苦しみ、喜びなど普遍性のあるものとして描かれている。おそらく今回の舞台を観ている人の多くが、この非常に宗教的な題材の物語に「自分の人生においても起こりうること、共感できること」を発見し、驚くのではないだろうか? それも、草彅剛という俳優が「自らの道を求め、遍歴を続ける」姿が非常に似合うことが、観客をこの物語へと引き入れてくれているのは間違いないだろう。
シッダールタの周辺の人物を演じたキャストたちの実力もまた、物語世界への没入を助けてくれる存在だ。まず、シッダールタの親友・ゴーヴィンダ役を演じた杉野遥亮。ゴーヴィンダはシッダールタとの関係性、対比としてシッダールタを浮かび上がらせる重要な役柄だ。ここ数年、ドラマや舞台などで着実にキャリアアップを重ねている彼だが、今作では若さと我欲があふれる年代から年老いた姿まで幅広く見せてくれる。

カマラを演じたのは瀧内公美。彼女が舞台に出てくると、妖艶な空気と彼女の持つ華やかさがパッと広がるようだ。また、今作はヘッセの『シッダールタ』だけでなく、同じくヘッセの『デーミアン』という作品の要素と、「現代」の様子を入れ込んだ物語となっている。そのシークエンスで演じるエヴァ役との対比も見どころだ。現代の場面では、鈴木仁の演じるデーミアンの現代的で不可思議な佇まいも印象に残る。この現代の場面が入ることで、シッダールタの物語の世界とのコントラストがよりはっきりしていくようだ。また父役の松澤一之、商人カーマスワーミ役の有川マコトらのバイプレーヤーぶりはさることながら、中でも強く印象を残すのは渡し守ヴァスデーヴァ役のノゾエ征爾。演出家としてもさまざまな作品で大活躍中の彼だが、俳優としても魅力的であることを今作では改めて実感させられた。

演出の白井晃は、開幕に際しこのようなコメントを発表している。
「100年前のヘルマン・ヘッセの小説『シッダールタ』を現代社会を投影した作品にしたいという思いでここまで創作してきました。主人公・シッダールタは、今を生きる私たちの姿そのものだと思います。草彅さんの驚異的な集中力から生まれる表現は、私たちの心を捉えて離さない力強さに満ちています。この作品に関わったすべての俳優、ダンサーの献身的な努力により、想像力をかき立てる舞台芸術ならではの作品になったと確信しています。この混沌とした世界の中で私たちはどう生きていけば良いのか。草彅さん演じるシッダールタの静かなる叫びに耳をすませていただけると幸いです。」
そう、この作品に描かれているのは、けして遠い説話の中の物語ではなく、混沌とした今の世界で私たちがどう悩み、苦しみや悲しみや欲望に対峙し、そして生きていくか……誰もが今まさに対峙している、遍歴の道程なのだ。俳優たちの奮闘の中に、観る人の行く先を少しでも照らしてくれるような“何か”がきっとある……そんなことを確信させてくれるような作品だ。




