2025.05.28 12:00
BECK(Photo:Pooneh Ghana)
2025.05.28 12:00
ソロアコースティックで魅了した2024年の来日公演に続き、バンド編成としては7年振りとなるベックの単独公演が、5月28日(水)Zepp Namba(大阪)、29日(木)NHKホールにて開催。以前より親交を温めているASIAN KUNG-FU GENERATIONが主催する「NANO-MUGEN FES.2025」を絡めてのスケジュールで、6月1日(日)にはK-Arena Yokohamaのステージにも立つ。なおこれに先駆けてジャカルタでも開催予定だった「NANO-MUGEN FES.2025」だが、残念ながらこちらは急遽開催中止に。いよいよの来日となったが、日本において幅広い年齢層に支持されているBECKの音楽的魅力を、あくまで日本人ポップファンの視点で解析してみたい。
なにせ日本ではジェフ・ベックという圧倒的ギターヒーローがいたせいで、ベックという名のミュージシャンが突如登場、しかもチャートを賑わしたときは、なんとも紛らわしい輩が登場したと思ったものだ。しかもデビューシングル「ルーザー」を聴いた当時は、BECKについてなんのデータもなく、まったく何者だかがわからなかったのである。やっと音楽雑誌にインタビューが載ったと思いきや、インタビュアーを煙に巻くような内容に反感を覚えたこともあり、ますますどこまで本気なのかがわからず苛々。このわからないというのは、BECKという存在自体が作られたものなのか、キャリアを重ねた大人たちにやらされているものなのかがわからない、という疑問である。
結果的に当時公表されたプロフィールはでたらめだったことが後に判明。父は作曲家のデヴィッド・キャンベル、母は女優のビビ・ハンセンであり、祖父も現代芸術家のアル・ハンセンという、立派な芸術家一家のご子息であり二世ミュージシャンなのであった。なんか妙に達観したキャラクターなり作風になるほどなと納得しつつも、両親は10歳のときに離婚している。母方に育てられたので、父より音楽的英才教育を受けたというわけではないだろうが、後にデヴィッドはBECK作品のストリングスアレンジを手掛けてコンサートでも共演。親子仲は良好である。なおこの家庭環境……後述する小山田圭吾と似ていた。

さて、BECKの音楽的バックボーンとして、ヒップホップは言わずもがなだが、1920〜30年代のデルタブルースが好きで相当聴き込んだという。(様式美的なところも含めて)シンプルなブルースリフと、リズムトラックのループによる座りの良さを発明したのがBECKというわけでは決してない。ただし、いにしえのブルースを素材としてミクスチャーしてみせた力技…そんな手法があるのか!という衝撃を、1993年当時の大人なロックファンに与えたのはBECKの功績である。いわゆる大人たちはブルースとヒップホップの融合劇に斬新さを感じて、当時の若者たちは“俺は負け犬。なんで俺を殺さないんだ?”という歌詞にも象徴的される、オルタナティブロックのアンセムソングとして「ルーザー」を支持した。
スライドギターのリフで始まる「ルーザー」に関しては、共作者であるカール・スティーヴンソンの力も大きい。印象的な左のエレキシタールもカールによるもので、BECKはリリックおよびラップ、ヴォーカルを担ったわけだが、1994年に発表されたメジャーデビューアルバム『メロウ・ゴールド』でもその作風が変わることはなかった。BECKの音楽に真っ先に反応したのはラジオ局であり、「ルーザー」のパワープレイがBECKというニューヒーローを浸透させていくこととなる。とはいえ、当時の自分の耳に『メロウ・ゴールド』はかなり過激で、これが100万枚以上売れるUSロックシーンってすごいなと感心したものだ。
なおBECKは『メロウ・ゴールド』の前に1stアルバム『Golden Feeing』をインディリリースしているが、変則チューニングを多用したアコースティックギターの弾き語りによるブルースに、極端なディストーション処理を施したりするかなり実験的な出来映え。90年代初頭、ローファイなサウンドによるフォーキーな音楽がもてはやされた時期もあったが、大半のその手のミュージシャンは1曲、2曲で消えてしまったわけで、やはりBECKは別格だったとわかるのである……次のアルバムで、だが。
次第にインタビューなどもまともに受けるようになったBECKが、ロックスターとして決定的な存在となったのは、アルバム『オディレイ』(1996年)でのこと。ローズピアノのリフがクールな「Where It’s At」のPVでは路上清掃員に扮したかと思えば、スーツ姿で歌い上げるハンサムな姿で女性ファンが急増。そもそも楽曲然りオマージュたっぷりのPV自体が面白くて、高年齢層のロックファンをも虜にする要素があった。そしてオルタナシーンでも評価が落ちなかったスライ&ファミリーストーンはともかく、どちらかと言えばオルタナシーン下では時代遅れに思われていたグランド・ファンク・レイルロード、ロリー・ギャラガー、エドガー・ウィンターなどのほか、それこそ僕もまだ気づいていないような、ロックだけに留まらないオマージュも『オディレイ』には散りばめられていた。正直、今頃になって気づく仕掛けもある……! アルバム冒頭を飾った「Devil’s Haircut」でのますます洗練されたサウンドにも正直驚かされた。ノエル・ギャラガーが「Devil’s Haircut」のリミックスを買って出たことで、英国でのセールスにも繋がったのも追い風に。そして『オディレイ』は後にグラミーを2部門受賞するなど世界的な評価を得て、BECKが『ルーザー』だけの一発屋ではなかったことを証明してみせたのだ。
『メロウ・ゴールド』で垣間見せていた多彩なアメリカーナ要素が極めてユーモラスに、それでいてヒップホップという方法論を効果的に用いたことで、『オディレイ』を極めてポピュラリティあふれるアルバムとしてまとめてみせたBECK。もちろんダスト・ブラザーズのプロデュースなども完成度を高めた要因だが、重要なのはBECKのめざといコラージュセンス。音楽の新しさ、古さ、ジャンル、なんなら元の音源の音質の良し悪しなど関係なく、全部を一線上に並べてみせたことにある! これをメジャーシーンでできたポップミュージシャンはいなかった。聴く人によってはこんな斬新な音楽があるのか!となり、こんな渋いことが流行っているのか!?という反応にもなり、挙句はPVで見せたシニカルなギャグ要素も、BECKの世界観を理解する大いなるヒントに。気づけばオルタナシーンの代表的存在として登場するも、シーンを超越したカリスマとなったBECKである。
ロックファンにとって次の関心は『オディレイ』のサウンドをどうやってライブで再現するのか!?だったが、レコーディング音源を元に、よりアグレッシブにパフォーマンスしてみせたセッション感も僕らを虜にした。1997年当時における「Novacane」のパフォーマンスでは、使用楽器もいわゆるビザール系やヴィンテージだったのも衝撃的だった。なお1997年といえば、国内ではCORNELIOUS(小山田圭吾)が『FANTASMA』リリースを機に、海外進出して次々に評価を獲ていったタイミング。この二人の動向をセットで追いかけているファンも多いだろう。実際、二人はBECKの初来日公演当時からの付き合い。なお当時のBECKのオープニングアクトが、小山田主宰のトラットリア・レーベルからも作品を発表していた暴力温泉芸者(中原昌也)で、それがきっかけで出会っている…なんて書くと、“渋谷系”音楽が好きだった人は納得だろう。そう、“ポスト渋谷系”の音楽を模索していたあの頃、BECKが勢いよく僕らの耳に飛び込んできたのだった。
以後のBECKは大躍進の一言。1998年発表『ミューテーションズ』では、これまでコラージュサウンド主体ゆえ、埋もれざるをえなかったシンガーとしての魅力を前面に押し出した! サウンドも意図的にギミックを排して、メロディメイカーBECKがたっぷりと味わえる、僕などアラフィフファンにはまさに待ちに待った一枚だったのである。レディオヘッドの大ヒット作『OKコンピューター』を手がけたナイジェル・ゴッドリッチをプロデューサーに迎えた話題作だったが、高音質でドリーミーなバンドサウンドという部分で共通点も感じた。サイケデリックロックのみならず、モータウンサウンド、ウォールオブサウンドにも挑戦している。
そして、これまでの歩みをひとまとめにして、ポップアーティストとしての王道をややアイロニカルに挑んでみせたのが1999年作『ミッドナイト・ヴァルチャーズ』。このとにかくファンキーなパーティーチューン揃いのサウンドの変化についていなかったのか、本国では当時賛否両論になったものの、そこはひねくれポップ大好きの日本では相変わらずの高評価。ジャケットデザインがボアダムズの∈Y∋(山塚EYE)なのも日本のファンには愛すべきところ。『オディレイ』から進化してきたBECKの集大成であり、面白ければなんでもありという、2000年代以後のミクスチャーな価値観をいち早く提示してみせた感もあり、90年代サウンド手法の到達点と個人的には思っている。なお、2000年には大阪城ホール、さらに日本武道館3デイズの成功を収めて、日本での人気は確実なものとなった。
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