2025.04.15 20:00
2025.04.15 20:00
メッセージと共に広がっていった音楽性
“闘うシンガー”としてもシンディは存在感を示すものの、初期2枚があまりに鮮烈だったがゆえ本国でのセールスは低迷する。そんな中で1995年に企画されたのが初のベスト盤『グレイテスト・ヒッツ』。当時は音楽ソフトとしてCD全盛ということもあり、いろんなミュージシャンがこうした企画盤で好セールスをあげていた。シンディも『グレイテスト・ヒッツ』で再び脚光を浴びワールドツアーを行う。この年、日本では阪神淡路大震災に見舞われたが、シンディは被災者に義援金を寄付、チャリティイベントにも参加したことで親日家として著名となった。1996年にはシンディのメッセージ性とソングライターとしての魅力がより開花した『シスターズ・オブ・アヴァロン』を日本先行でリリース。当時最先端のエレクトロミュージックやテクノ、レゲエなども採りあげた野心作で、タイトル曲のPVではシンディがオベーションのエレアコギターを弾いている姿も見られる。海外では翌年のリリースとなったが、日本とは裏腹に海外でのセールスは振るわなかった……。なおシンディの来日公演は1986年、1989年、1991年、そして1993〜1996年まで続いた。
1997年には待望の息子も授かり、44歳の高齢出産だったことも、同じ悩みを抱える女性に勇気を与えた。1998年には『メリークリスマス…ハヴ・ア・ナイス・ライフ!』をリリースするも、本国のメジャー契約は打ち切りとなってしまう。それでもシングル「ディスコ・インフェルノ」が話題になったりと、シンディの粘り強い活動は続いていた。2001年には坂本龍一主導のユニットN.M.L.による地雷撲滅のチャリティソング「ZERO LANDMINE」にボーカルで参加。これが契機となり6thアルバム『シャイン』には坂本龍一も参加することに(楽曲「イベンチュアリー」にて)。ところがこの『シャイン』のリリースにはさまざまなアクシデントが重なり時間を要した。リリース予定だった『シャイン』より半数の楽曲を『シャインEP』として発表するもアルバムはお蔵入りに。とはいえ、8ビートナンバー「イッツ・ハード・トゥ・ビー・ミー」など痛快で、『シャイン』の日本での期待はかえって高まることに。
2003年にソニーと再契約するも、リリースされたのはカヴァーアルバム『アット・ラスト』だった。これまでと異なる大人なドレス姿によるジャケット写真は美しく、「ラヴィアンローズ」「アンチェインド・メロディ」「オン・ザ・サニー・サイド・オブ・ストリート」などスタンダードナンバーを披露。その圧倒的な歌唱力で魅了したものの、ちょっと大人すぎる内容(っていうのもベテランシンガーに対して失礼な話だが……)に期待外れだった人も。翌年、遂に傑作『シャイン』がリリースされるもアルバムは日本限定リリースだったことを僕らは改めて誇っていい。そして『シャイン』引っ提げて8年振りの日本ツアーも実現。『シャイン』はとにかくカラフルでポップなシンディ! 実は現在もこのアルバム・バージョンはサブスク解禁されていないし、今では日本盤CDはプレミアムアイテムになっている。
2005年には初のセルフカバー作『ボディ・アコースティック』を発表。ジェフ・ベック、サラ・マクラクラン、シャギー、アニー・ディフランコらと共に、日本からPUFFY(スカアレンジの「ハイ・スクールはダンステリア」で笑い声たっぷりの会話と愛らしいコーラスを聴かせている!)が参加している。2007年にはサマーソニックで来日して大盛り上がりに! ライブでの人気が決定的に返り咲いた印象で、この年SHIBUYA-AX、名古屋ダイアモンドホールと単独公演2公演だったのが、翌年には日本武道館公演が復活、東名阪ツアーとなった。2008年にリリースしたのが『ブリング・ヤー・トゥー・ザ・ブリンク〜究極ガール』。CFソングで起用された「セット・ユア・ハート」、クラブでの夜における高揚感をテーマにした「イントゥ・ザ・ナイトライフ」など抜群のダンスミュージックアルバムだった。ダンスビートのトレンドをつかみつつも決してマニアックには行かず、とにかくシンディならではのカラフルでキャッチーな仕上がりに。
2011年、東日本大震災の際にシンディは日本ツアーのために来日するも、彼女の乗った飛行機は成田空港閉鎖のため米軍厚木基地に着陸。周囲が公演中止を呼びかける中、彼女は3月の日本ツアーをあえて決行。親日家としてのイメージを決定づけたエピソードの一つである。以後も2012年、2013年、2015年、2019年と来日公演が実現。最先端のLEDサイネージ演出なども採り入れたカラフルな演出には、当然シンディの強いメッセージが反映されており、視覚的にも見事に説得力のあるステージングを展開している。なお2011年にはR&Bにアプローチした『メンフィス・ブルース』を発売。アラン・トゥーサン、B.B.キングとの共演による「アーリー・イン・ザ・モーニング」、ジョニー・ラングをフィーチャリングしたロバート・ジョンソンの名曲「クロスロード」(国内ではクリーム、エリック・クラプトンのカバーが有名だが……)などを堪能させた。
2016年にはカントリーやアメリカーナな音楽にトライしたアルバム『ディトゥアー ~回り道~』を発表。スライドギターをフィーチャーしたR&Bナンバー「ミスティ・ブルー」「ベギング・トゥ・ユー」、不朽の名曲「ジ・エンド・オブ・ザ・ワールド」のカヴァーなどで抜群の喉を震わせた。アッパーチューンではブルー・エンジェル時代を彷彿させるシーンも。こうした自身の音楽的ルーツを見せる作品でも、とにかく歌が上手いので何を演ってもキマってしまう……10代でこれを聴いてもピンとこなかったかもしれないが、シンディを追いかけてそれ相応に年齢を重ねた今はそれがわかる。
2024年にはシンディの半生を描いたドキュメンタリー映画『レット・ザ・カナリア・シング』が制作された。シンディ自身はもちろん、豪華布陣がシンディ愛を語っており、決して裕福ではない家庭から生まれ育ちスターダムを勝ち獲りつつも、常に闘い続けてきた我らがロックプリンセスの生き様がフィルムに焼き付いている。このサウンドトラック『シンディ・ローパー|レット・ザ・カナリア・シング -ジャパン・エディション-』は、世界初CD化で日本先行リリースされた。
なお映画は昨年に続き、4月11日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国劇場で一週間限定で上映中。ルーツアルバムに続き自叙伝的映画と、なんか妙に人生のまとめに入っているなと思った矢先、ツアーからの引退発表である。フェアウェルツアーの日本公演は4月19日(土)Asueアリーナ大阪を皮切りに、22日 (火)に日本武道館公演だったが、武道館公演は早々にソールドアウトして、23日 (水)の追加公演も決定したがこちらもソールドアウト。再追加公演として25日(金)に日本武道館のチケットが発売されているが、まだの方は急いだほうがいい。シンディファンよ、映画『レット・ザ・カナリア・シング』、サントラ『シンディ・ローパー|レット・ザ・カナリア・シング -ジャパン・エディション-』、そして来日公演で我らがヒロインの勇姿を堪能しよう! 日本公演の盛り上がりを見たらとても引退どころじゃない!とシンディが考え直してくれるはず、と僕は強く信じている。