この舞台がいかに“特別”か、キャストや音楽の魅力と共に解説
命を削るかのような稲垣吾郎の熱演が心打つ、4年ぶりの再演『No.9 ー不滅の旋律ー』開幕
2024.12.25 20:30
2024.12.25 20:30
剛力彩芽らキャストがもたらす安定感と緩和
面倒くさく、大変な人物でありながら、観客はなぜかこのベートーヴェンという人物を嫌いになれず、むしろどんどん惹かれていく。それは音楽の才能に恵まれているだけでなく、何よりも音楽に対して真摯であろうとするその姿勢や純粋さ、彼自身が抱えている孤独感や苦悩が、観る側にも伝わってくるからだ。稲垣吾郎という人はどんな役を演じていても、どこか少し浮世離れしたようなチャーミングさと繊細さが漂っているように思う。このベートーヴェンという役は彼のパブリックイメージからは対極に感じられるほど泥臭く、感情をむき出しにする人物だが、彼が演じることで観客はベートーヴェンという人物を“嫌いになれない”。その絶妙なバランスが、なんとも素晴らしい。この役を演じるのが稲垣吾郎で良かった……心の底からそう思うのだ。
かつ、彼を支える他のキャストも素晴らしい。剛力彩芽演じるマリアは最初はベートーヴェンの失聴を暴こうとしてメイドになり、やがては公私ともにベートーヴェンを支える立場になっていく女性。2018年から参加しているだけあり、舞台上での安定感は抜群! マリアという役の溌剌とした明るさと、まっすぐに他者と向き合い、覚悟を決めてベートーヴェンを支える強さ、一途さは、彼女にとても良く似合う。片桐仁演じる胡散臭い発明家・メルツェルも含めたコミカルなやり取りは、舞台の中に笑いといいテンポをもたらしてくれる。ナネッテを演じる南沢奈央は今回が初参加だが、ベートーヴェンの才能に傾倒しながらも、女性ながら一流のピアノ職人であろうとする矜持を持つナネッテという役の純粋さ、芯の強さが彼女の持つ空気感にとても合っていたように思う。
そう、この作品はベートーヴェンをとりまく人々のキャラクターも、非常に多面的に描かれているのが特徴だ。例えば深水元基演じる警察官・フリッツは金に汚く、非常に正直でシンプルな人物に見えながらも、ウィーンを取り巻く政情に翻弄された人物。登場人物の中で一番“市井の人”の目線を持っている人ともいえるだろう。だからこそ、激動の時代の中でも音楽というものを諦めないベートーヴェンとの対比が興味深い。
また、ベートーヴェンの愛を一身に受けながら何度も彼を裏切り続ける女性・ヨゼフィーネ(奥貫薫)の生々しさ。メルツェルと同じくらい胡散臭く、“詐欺師”とも言われながら、もしかしたらこの人が一番本質的にはベートーヴェンを理解していたのかも……? と思わせるようなヴィクトル(長谷川初範)。ベートーヴェンを支える2人の弟やナネッテを暖かく見守るその夫など、どの役柄も舞台の中でリアリティを持ってしっかりと生きている。ちなみにベートーヴェンの生きた時代はフランス革命から革命戦争、ナポレオン戦争という動乱の時代でもあり、それは音楽の都・ウィーンの状況をも左右していく。戦火のなかで自分がどう生きていくか……これは2024年の今、世界情勢を鑑みてもリアルに迫ってくるように実感できた人は多いのでは? こういった時代とのリンクも、再演を続けることの面白さと言えるだろう。
……と。ここまでいろいろと語ったが、この作品の最大の魅力であり、もう一人の主役とも言えるのは“音楽”だ。今作の大半のBGMは舞台上に置かれた2台のピアノで生演奏されるという、なんとも贅沢な空間! 時に掛け合いのように、時に連弾のように演奏される数々のベートーヴェン作曲ナンバーは、登場人物の心情を表現しつつ、ベートーヴェン作品の煌めきを私たちに教えてくれ、それが舞台上のストーリー……“ベートーヴェン=天才”であることに圧倒的な説得力を持たせてくれる。言葉として語らずとも、なんと音楽は雄弁であることか。特に、物語の“核”となっていく「交響曲第9番」、とくに「歓喜の歌」の天上から降ってくるかのような神々しさ、合唱の迫力と言ったら! これはもう、筆舌に尽くしがたい。芸術に身を捧げること、生きていくことの苦悩を考えさせられたあとに、それらを昇華してくれるようなその旋律に誰もが心震わされるはずだ。今回、東京公演の千秋楽は12月31日に予定されているというのも、なんとも粋!
実は2020年公演は新型コロナウイルス流行の影響もあり、思うように公演ができなかったという事情があったという。それもあるのだろう、ストーリー自体は非常にシリアスながらも、舞台上にはこの作品……そして演劇や音楽、“芸術”を表現できることへの喜びが満ちているように感じられる。ぜひ、劇場で体感して欲しい作品だ。