2024.01.31 18:00
2024.01.31 18:00
幸せという言葉自体ある種の呪いだと思う
──確かにこの映画を観てから、お年寄りの方を見かけるとちょっと怖くなりました(笑)。あの得体の知れなさを引き出すために監督が意識したことはありますか。
下津 祖母役の方がほとんど演技経験がなかったので、その素人感と言いますか、ベテランの演者さんでは出せない空気感を逆に利用したところはありますね。
古川 おばあちゃんから「今、幸せ?」と聞かれる場面があるのですが、普段、幸せかどうか聞かれることってないじゃないですか。一体おばあちゃんは何を聞きたいんだろうって。あそこはもう違和感でしかなくて。でもそれが面白かったです。
──古川さんはいろんなジャンルの作品に出演されていますが、ホラーの演技はやはりまたちょっと違いますか。
古川 全然違うなと思いました。驚いて泣いて怒って、発散するエネルギーが必要な感情ばっかりだったので、体力勝負というか、日に日に消耗していく感じはありましたね。
下津 実際、どんどん疲れが溜まっているのが、はた目で見ていてもよくわかりました。でも、順撮りだったので、その疲弊感が孫の心理状態とリンクするところがあって、そこが唯一の救いではありましたね。
古川 今回、台本を読んでもわからないところがたくさんあったんですね。それを最初のうちは監督に質問していたんです。でも監督はわからないまま演じてほしいとおっしゃって。
下津 孫も状況をよくわかっていないので、古川さんにわかっていただく必要はないかなと思って。もうほったらかしにして、そのリアクションを撮っていくという感じでした。
──血飛沫を浴びるシーンはいかがでしたか。
古川 あの血飛沫はスタッフさんがかけてくださるんですけど、やり直すのは大変だから一発オッケーじゃないといけないというスタッフさんの緊張感がすごく伝わってきました(笑)。偽物とはいえ、やっぱり自分の顔にバッと血がかかるとショックというか。スイッチが入るのか、逆に切れたのかわからないですけど、今まで感じたことのないパニックが引き起こされるようなところはありましたね。
下津 僕はそんな古川さんの表情をモニターで見ながら、いい画が撮れたなとニヤニヤしていました(笑)。
──「誰かの不幸の上に、誰かの幸せは成り立っている」が本作のテーマです。そうした他人の犠牲の上で生活を営む人間の業について、どんなことをお感じになりますか。
下津 今回、古川さん演じる孫以外は、自分たちの幸せのためなら犠牲をいとわない現実主義者。実際、ほとんどの人間がそうだと思うんですね。そんな中、孫は理想主義者として入ってきて、現実を知り、最終的に現実を受け入れいく。これってパッと見はバッドエンドなんですけど、僕としては現実を受け入れつつ、理想さえ捨てなければハッピーエンドなのかなと思っている次第です。
古川 私は、幸せという言葉自体がある種の呪いじゃないかと思っているんですね。幸せというものがあると思い込んでいるから、みんな幸せにならなくちゃいけないと必死になる。でも、自分たちから見て不幸な人の中にも幸せはあるし、幸せだと思っている人の中にも不幸はあるじゃないですか。本来、幸せか不幸せかって切り離して考えられるものではなくて、すべてつながってサイクルになっているもの。だから、自分の幸せのせいで犠牲になっている人は確かにいるのかもしれないけど、それを受け入れて自分が何を選択するかが大事なんじゃないかという気がします。
下津 劇中、伯母が「アフリカの子どもたちは不幸だと思う?」という話をしますが、あそこはこの物語のテーマを吐き出した場面。他人を自分の幸せを測る物差しにしてはいけないんですよね。
──では、目を伏せたくなる現実に対して、お2人はちゃんと向き合うタイプですか。それともどこかに理想を見出すタイプですか。
古川 私は現実を知った上で、自分の恵まれた環境に対して感謝するタイプかもしれません。そこに誰かの犠牲があったとしても、自分の人生は自分の人生と切り離して考えるというか。もし交わる瞬間が来たら、そのときは自分ができることを精一杯やりたいですが、あえて自分から飛び込むようなことはできない気がします。
下津 僕は超現実主義者です。いちばん仲の良い監督仲間が僕と正反対の理想主義者で、よく夢物語のようなことを口にしているんですけど、それに対して僕はわりと冷ややかなところがあると自分でも自覚しています。
──じゃあ、もしお2人が今回登場する田舎の村に迷い込んだら……?
下津 即従うと思います(笑)。
古川 私も結果としては従うことになると思います。きっとそれが自分の定めなんだと受け入れるかもしれないですね。
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