特別対談「日比谷音楽祭が目指す音楽の新しい循環」 #1
“感動体験”を原点に、亀田誠治×小山田壮平が考える仕事を超えた音楽の魅力
2023.10.02 17:30
2023.10.02 17:30
仕事にならなくても音楽はやる(小山田)
──お二人はそもそもミュージシャンになることが目標だったんですか?それとも音楽を通して何かを表現したかった?
小山田 ミュージシャンになりたい、ですね。僕、小学2年生のときB’zが大好きになって、そこから日本の音楽を聴くようになって。
亀田 これさ(笑)、およそB’zじゃないだろうってアーティストの方もB’zのこと好きだよね。ここにもいた!って感じです(笑)。ご本人が発信する音楽にはB’zの香りは全くないんだけど、B’zに夢中だったって言うんだよね。
小山田 そうですね。もともとは両親がフォークソングがすごい好きで、家庭の中で流れてる音楽があって、そこにこうテレビの中からB’zが出てきた時に衝撃を受けて。そこからもう「僕は歌手になる!」っていう気持ちでずっときてるところなんで、これが仕事にならなくても音楽はやりますね(笑)。
──強いモチベーションになったんですね。
小山田 まあB’zをきっかけにというか、それから当時90年代で、亀田さんがプロデュースされた椎名林檎さんとかもそうですし、どっぷり90年代のJ-POPって言われてる音楽が大好きで聴いてました。
亀田 ちなみに僕は音楽にまつわる仕事だったら何でもよかったです。ラジオでも良かったし、エンジニアさん、音響さんの仕事でもよかったし。でも出会っていく仲間の中で自然と音楽を作る方、奏でる方になっていったのと、あとね、ベースだけはすごい好きで死ぬほど練習してた。一日10時間ぐらい高校生・大学生ぐらいの時は弾いてたので。なのでそこはずっとやり続けたかったんです。そこが軸にあったっていうのがあって。
小山田 バンドとかやってたんですか?
亀田 バンドもやってたし、もうどこにでも弾きに行った。
小山田 そのバンドでデビューだとかそういう感じはあったんですか?
亀田 いいこと聞いてくれた! 関わっていた4つぐらいのバンドがデビューしていったんですけど、僕は全く相手にされてなくて、そのバンドのボーカルだったりとかイケメンのドラムだったりとかがどんどんプロになっていって、人気のバンドに入っていったりとかして、僕といえば「亀田くんはスタジオに遊びに来れば?」みたいな扱いがずっと続いていって、で、いやいやこれは……。
小山田 悲しいですよね。
亀田 悲しいけど腐らずにスタジオを覗きに行ったら自分がやってることとあんまり変わんないじゃんと思って、これは自分でもっと作品を作って磨いて、もっともっと場を増やして行くしかないというふうに思って。それを続けていたら「曲書いてみない?」とか「アレンジしてみない?」とか、「サポートメンバー探してるから弾いてみない?」みたいな話が25歳ぐらいの時に来るようになったっていうのがきっかけですね。小山田さんはバンドはストレートでデビューできたんですか?
小山田 大学の時に組んだバンドが今も一緒にやってるベースの(藤原)寛と始めたバンドなんですけど、就職の時に「就職するのかやるのか?」っていう話をして、2人抜けて。
亀田 ははは!
小山田 で、そのベースの寛と西荻窪のアパートでしばらく暮らしながらやってたんですけど。でも割とすぐ事務所に声かけてもらってラッキーでした(笑)。そこからそのままこれてる感じがします。
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