新しい日本舞踊を提示する未来座『舞姫』が国立劇場で上演
舞踊家として、女優として。多岐に活躍する藤間紫が模索する「未来のかたち」
2023.05.31 18:00
2023.05.31 18:00
彼女と話していると、なんとも魅了されてしまう。チャーミングな表情と、小柄な体躯から溢れんばかりのパワー。きっとそれは、舞踊家として彼女が歩んできた、そして背負ってきたものも関係しているのかもしれない。
日本舞踊家たちが日本舞踊の創造に取り組む「日本舞踊 未来座=最(SAI)=」。その最新作で主人公をつとめる舞踊家・藤間紫は、「女優・藤間爽子」としてさまざまなドラマや演劇で活躍する存在でもある。「藤間紫」という大きな名跡を継いで2年、さまざまな形で世間からも注目が高まる今、女優として、舞踊家として彼女が今考えていること、そして今作にかける思いとは?
「日本舞踊が好き」でつながる幸せな空間
──第6回を迎える未来座の公演ですが、これまでも参加されていますよね。今作の企画を聞いた時のご感想は。
初回、第3回目と参加させていただき、今回で私自身は3回目の参加となります。最初に『舞姫』というタイトルを聞いたときは、森鴎外の小説のほうと勘違いしていたんです(笑)。でもそうではなく、女性の踊りという意味での“舞姫”。アメノウズメノミコトや出雲阿国、なかには「かぐや姫」なども出てきますが、そういったそれぞれの時代の“舞姫”が登場し、私が演じる「マイ」という主人公が現代から遡って巡っていき未来に繋げていく……という作品です。私自身、これまで「女性の踊り」をフィーチャーしたものを観たことが少なかったこともあり、内容と企画を聞いたときはとても面白そうだなと純粋に思いました。また、公演が行われるのが国立劇場で。今の建物は今年でなくなってしまうので(注:建て替えのため2023年末で閉場予定)、思い入れのある場所での“区切り”ではないですけれど、ぜひやりたいなと。
──こういう形で「女性」をテーマにするのが面白いですね。
日本舞踊の世界は、歌舞伎の認知度が高いせいか「男性だけしか踊れなのでは?」と思われる方も結構いらっしゃるんです。でも私も含め、舞踊家もお弟子さんも、女性が本当に多いです。今回、脚本も演出も男性ではあるのですが、脚本の齋藤雅文さんに「日本舞踊は女性が輝いていって欲しい」という言葉をいただきまして、それは本当に嬉しかったですね。
──また、今回は総勢42人の舞踊家の方々が参加されますよね。こういう形での日本舞踊の公演が見られるのも珍しいのかなと。
そうなんです、日本舞踊は作品的に、1人で踊るものが多く、多くても3人程なので、この42人が国立小劇場の舞台にみんなで上がる、それだけで迫力があると思います。
──今回の共演者の皆さんは、普段から交流がある方々なんですか?
実は、私は今回「初めまして」の方もいらっしゃいます。基本的に流派が違うと、お会いする機会が少なくて……でもこの未来座は、主催の日本舞踊協会が「流派を超えて作品を作り上げて、日本舞踊を皆さんに楽しんで知っていただこう」という思いで取り組んでいます。だからこそ、この形が実現しているのだと思いました。日本舞踊の世界は若い世代が減っている中で、今回の公演では他流派の同世代の方々と交流ができるのも嬉しいところです。この作品には、本当に色々な方々が集っていて、 流派も違えば、地方在住の方もいらっしゃったり、他のお仕事をしながら舞踊家としても活動をしている方もいる。そんなメンバーの共通点が「日本舞踊が好き」という、ただその1点。この事自体に、とても意味があると思っています。
──2021年に「三代目藤間紫」を襲名され、昨年には襲名披露の舞踊会も行われました。襲名という大きな節目を迎えてから2年ほど経ちますが、ご自身の心境としては何か変化は感じられますか?
……こんなこと言ったら怒られそうな気がするんですが、あまり変化はないかもしれません。逆に襲名する前はプレッシャーを感じていました。大きな名跡ですし、「自分が襲名するなんて……」と思っていたこともありました。でもいざ襲名したら、「襲名したからと言って、そんなにすぐに変わることではない。」と。自分自身もそうですし、周りの反応も思った以上に変わらなく。舞踊協会の中ではまだまだひよっこですから、そこは甘えさせていただこうかなと思っています。
──襲名がコロナ禍のタイミングというのもありましたしね。
本当に襲名披露の公演も、できたのが奇跡のように感じます。そのような逆境からのスタートというのも良かったのかもしれません。ただ、改めて新型コロナウイルスの流行下で思ったのは、私達の公演というのは本当に「お客様がいないとやる意味がない」ということ。やはり舞台は生のものですし、そこにお客様がいて、劇場を一緒に共有したいと。コロナ禍でそういう機会が失われた時期というのは、ある意味で自分たちのやってきたことを少し見つめ直す時間でもあったのかなと思いました。
次のページ