2022.10.17 12:00
2022.10.17 12:00
どの曲も自分事に聞こえないように録りたかった
──「夏の調べ」に関してだけは、かなり朴訥とした歌い方をされてらっしゃる印象があって。以前、「僕の声は人が嫌がる成分が元々含まれていた」みたいなことを話してくれたことを覚えてます? それがある意味、最大の武器で特徴であるみたいな、
僕の声はロックにうってつけなんだ、人を不快にさせるんだっていう話だよね。
──それを「夏の調べ」では封印した雰囲気で歌ってらっしゃる。これはなんでだろうなと。
なるべくどの曲も自分事に聞こえないように録音したいなと思って。例えばファンが聴いたときに「志磨さんすごい苦しんでる」とか「志磨さんの思いが伝わる」とかじゃなくて、遠い場所で起きた事を歌ってるように聞こえるように。昔話って、おじいさんとおばあさんの主観って出てこないじゃないですか。「昔々あるところに、おじいさんとおばあさんがいました」って言ってる人の視点で作りたかった。なので、具体的に言うと、キーを少し落として、感情を入れず、叫ばない。変に技術的な話ですけど、同じ歌を二つ重ねて録音するダブリング、ダブルトラックっていう技がありまして。そうすると妙に人格がブレて聴こえるんです。1人で歌うと独白って感じがするんだけれど、二つとか三つ声を重ねると、人格の境界線がちょっとぼやける。そうやってね、今回はなるべく自分の人格を欠損させるようにしたんです。
──ボーカルトラックを意図的に重ねているんですね。これもキャリア上新たな試み?
ここ何年かはそういうふうにやることが多くなりました。多分『ジャズ』ってアルバムから「昔々あるところに」式を取り入れはじめて。逆に『バイエル』はすごくプライベートなアルバムにしたかったからそれをやってないんですけど、今回はもうひたすら重ねまくって他人事のように歌うっていう。
──今回架空の短編映画のサントラという触れ込みもございますけれども、先に語り部として歌を入れていくって考え方になったのか、それとも逆だったのか。
前者の方かな。全10曲、10通りの短いストーリーが並んでいて、それぞれのサウンドトラックを作るようなつもりでやるといいんじゃなかろうかと思って。となると必然的に歌い方も録音方法も決まってくる。長年やってると、作る前からわかるという感じですね。
──声を重ねまくってるっていうのは、あまり気づかなかったです。
ダブルトラックが上手いんですよ、僕(笑)。
──(笑)。1回録った音に被せにいくのも、シンクロ率が高ければ高いほど程、確かにそうですね。
声のニュアンスとか語尾の長さまでぴったり合わせているので。
──そういう仕掛けもされていたんですね。
そうなんですよ。聴覚上の仕掛けですね。ギミックです。
──せっかくのタイミングだから聞きたかったんですけど、志磨さんってひらがなを多用するというか、漢字変換をあまりしたがらないタイプだと思っていて。特に思ったのが、「やりすぎた天使」の「しぬほどじゃない」ってところ。あとは「エロイーズ」の「ありえない」だったり、「横顔」の「なにも しらないの なにも しってるの」ってところ、全部ひらがななんですよね。「ぼく」も、漢字はほぼ使わないですね。
「ぼく」はひらがなで書くんです。
──ひらがなへのこだわりがある?
ぱっと見たときの印象で、硬くしたいときは漢字、柔らかくしたいときはひらがな。例えば「やりすぎた天使」だったら「きどってる」を「気取ってる」と漢字で書くと、カチっとした服を着て無口でとっつきにくいイメージだけど、ひらがなで書くと、ちょっと間抜けなアロハシャツにサングラスできどってまーすみたいな。「しぬほど」も、「死ぬほど」と漢字で書くと医学的に死、って感じがするというか(笑)。ひらがなだと「もうやめて、しぬー!」みたいな。「しぬほどむかつく」とか「しぬほどおいしい」ぐらいの感じにしたくて、漢字に開いているんです。
──「横顔」の「なにも しらないの なにも しってるの」はどういう意図があるんですか。
そこを知識の「知」で漢字にすると、途端に男女の探り合いみたいな感じに見えるんじゃないかなと思って。何か隠し事を暴くような。でも、ひらがなだと「しーらない」ぐらいの感じ。子供が単純に知らないことがたくさんあるのに近いというか。大人が「私は知りません」っていうと途端に悪いことを隠してるように感じるじゃないですか(笑)。そうじゃなくて、「えーしらない」って感じにしたかったんです。
──これは昔から一貫しているところなんですか? 昔のほうが漢字を使っていた?
昔の歌詞をみたら「ここ漢字なんだ?」って思う箇所はある。今なら絶対これひらがなにするなあとか。
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