2022.08.25 12:00
タイトルからどんな漫画なのか誰しも少なからず推測する。
作り手側もここに対するこだわりがないわけはない。
それはその作品の印象と行く末を担うものであり大きな伏線にして回収であったりもする。
そして今回とりあげる漫画はこちら。
『海が走るエンドロール』
気になる。
もう気になる。
我々が第一印象で浮かぶ“海”は決して走らないし、エンドロールとは映画などで暗転してから最後に流れる作品関係者たちのクレジットだ。
そもそも映画大好き人間の僕は元々エンドロールのあの時間が好きだった。
余韻に浸りつつこんなにも大勢の人達が作品に関わっているのだと思いながら眺めていた。
近年役者になってからは、そこに自分の名前がある喜びや、出てない作品でも御世話になった人の名前や、やっぱりあの人が携わっていたのかなどと答え合わせをしたりと、よりエンドロールを楽しんでいる。
そこで話を戻すと『海が走るエンドロール』だ。
こんなにも具体であり抽象的なタイトルは大好物で想像を掻き立ててくれる。
エンドロールはきっと映画に纏わる話か、人生の締め括りに向かってみたいな話、海が走るに関しては悪いが知らん、よし読もう 。ここから始まった。
物語は65歳にして未亡人となった女性うみ子さんが、亡き旦那さんとよく映画を観てたなとふと思い出すもビデオデッキの故障で再生できず、何年ぶりかに独り映画館まで足を運ぶところから始まる。
映画が始まり思い出とともに蘇る旦那さんとの会話。
「座席ばかり気にして変わってる、あなたは映画が好きなのではなく、映画を観てる人が好きなんですね」
わかる。
めちゃめちゃわかる。
僕も昔からそうなんですようみ子さん。
時折ことあるごとに言ってきたんですけど、僕はある種の群集フェチなんです。映画館でもどこでみんながどんな顔してみてるかを観れる席に座るし、舞台も周りがどんな反応してるかを観察するのが好きで、スポーツでは熱狂してる人達を観てると感動してくるんです。
もうこの最初の最初の数ページで僕の心は共感とともに鷲掴み。
そして映画が終わる頃、うみ子さんが客席を観てたのに気づいた美大生と出会う。
彼もまた客席を観たくなる青年だと。
僕もなんですと2人の会話に参加したいが読者なので我慢したが我慢しきれずここに記している。
そしてビデオデッキを直してもらうべく、家にきてもらい2人で昔のビデオを観る。
彼の名前は海(カイ)。
なるほど2人の“うみ”か。
そして海くんが帰り際に放つ一言。
「うみ子さんさぁ こっち側なんじゃないの?」
“映画を作りたい”と書いてこっち。
たらちねジョン先生、うみ子さん同様僕の気持ちにも答えが出ました。
今はそんなことはないが、昔初めてライブに誘われを観に行った時にも、生意気ながら若い僕はなんだか煽られることに苛立ちを覚えていた。思い起こせばあれは僕もそこに立ちたかったんだ、出る側になりたかったんだと。
そして映画館や舞台を観ているときの行為は作り手になりたかったんだと。
こうしてカイの言葉にうみ子さんは引き潮の如く寄せる波に打たれ引き寄せられ、物語は始まっていく……。
物語が進み映画作りに熱を帯びていくうみ子さんがカイや若い子達と接することで、自分の凪いでいた海にまた波が押し寄せてくる感覚は読んでいる自分にも勇気をくれ新たなチャレンジは何歳になっても遅くはないんだと新たな海への航海を後押ししてくれる。
『海が走るエンドロール』
読後このタイトルをまた改めて考えるとうみ子さんと海の行く末が楽しみになること間違いなし。
そしてあなたも今の自分の感覚が波立ち、何歳であってもまだ見ぬ未来という大きな海とエンドロールに向かい船を“漕げる”だろう。
もう“ける”に濁点がついてしまったがお許しを。
ではまた。