2022.07.11 07:00
何一つ変わっていないような自分がここにいる
──今日はUAさんの「過去と現在」を紐解くインタビューになります。「過去」がだいぶ多めになりますけど。
はい。かまいません。25周年なんで。
──正確には、デビュー28年目ですよね。
6月21日から28年目です。
──周年ということもあるのでしょうけど、ここしばらくは非常に活発な動きを見せていますね。単独ライブ、新EPのリリース、フェス出演、8月にはミュージカル初出演も。メディアにも多く出られて、ラジオ番組のパーソナリティも務められている。
お声をかけていただけるのは、ありがたい限りですね。自分も周年を迎えるにあたって周りにやる気を見せていたし、カナダから日本に来ている時間も限られているので、そこでガッとやりましょうと。8月の末、ミュージカルが終わるところまで日本にいようと思っています。
──楽しめてますか?
めちゃくちゃ楽しいですよ。ただ年齢も年齢ですので、節制して。遊んでいる時間はないですね。まったく遊んでない。ほんと、真面目なものですよ(笑)。
──28年。「もう」ですか?「やっと」ですか?
「もう」ですね。あっという間としか言えない。年月をうまく捉えるのはなかなか難しいことで、人は時間というものを捉えることが正確にはできない仕組みになっているのかなと思ったりします。結局こう、50年も生きていますけど、何一つ変わっていないような自分がここにいることが、そう思わせるのかなと。
──2019年10月の「WATASHIAUWA Tour」最終日、日本橋三井ホール公演でUAさんが話しているときに、前のほうのお客さんから「デビューのきっかけはなんですか?」と質問が飛んで、「長くなるよ」と言いながら、けっこう詳しく話されていたのをよく覚えているんですよ。「私の本名は嶋歌織と言うんです。〈歌を織る〉と書くので、生まれたときから歌うことになっていた運命だったのかも」と話し始めて。そういう運命なのかなと、デビューしてから思ったんですか? それとも子供の頃から思っていた?
いやいや、昔はまったく思っていなかったですし、ただ画数の多い名前だなぁと思っていて。「かおり」という名前はその頃わりと多くて、クラスに2、3人はいたんですが、「歌織」と漢字で書く人に会ったことはなかったので、変わっているんだなという自覚はありました。それで……話が飛びますけど、大学生のときにお付き合いしていた人がレコードのコレクターで、アレサ・フランクリンのレコードなんかを私にくれたんですよ。その人があるときブルースギターを深く学びたいから京都から東京に行くと言い出して、仲が良かったので10代の私はショックで受け止められなくて。“なんて辛いことが起こるんだろう、人生は”と思いながら、彼にとってのギターのようなものが自分にもあるとしたら、それはなんだろう?と考えてみたんです。そのときに「歌だ!」って気がついた。
──そこから歌を本格的に?
でも職業にしたいと思ったわけではなく。アレサ・フランクリンとジャニス・ジョプリンに影響を受けていた自分は、果たして何をどうすればいいのかと。バンドを組むという発想はまったくなかったんですよ。それでヴォーカル・スクールを電話帳で調べて、バイトで払えるぐらいのクラスを選んで行ってみたんです。けれども失望させられることが多かった。私はR&Bを習いたいのに、歌う曲はカラオケの中から選ばなきゃいけないし。実は社交のためにカラオケが上手くなりたいOLさんが来るようなところだったんです。発表会では歌謡曲を歌わされたりして。私がREBECCAの曲を歌ったら、拍手されてほかの生徒から褒められたけど、なんだか妙にむなしいっていう。それでR&Bに詳しいという先生がいらしたので、「いつになったら私はR&Bを習えるんでしょうか」と訊いたら、いきなり難しいブルースコードを弾かれ、「リピートして!」と言われたけど当然出来なくて、「まずはカラオケからだな」と言われた。それで落ち込んでしまって、もういいやと泣きながらアメリカ村を走っていたら、美大の先輩にあたる女性が私を見つけて、「嶋、どうしたーー!?」と。「アレサは4歳から歌っているのに、私はもう19歳や~」と大泣きしたら、「アホか!?」って言われたんです。ああ、ほんとに私はアホかもしれないって思っちゃって、それで一旦諦めました。歌の道が見えなさすぎた。
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