全力で走り抜けた映画『パリピ孔明』公開を迎えた胸中とは
観たもの、演じたもの、歌ったもの全てが原動力。上白石萌歌が表現者であり続けられる理由
2025.04.28 18:00
2025.04.28 18:00
いつだって友人が自分を常温に戻してくれる
——映画において、アリーナ会場での歌唱シーンの撮影は相当な緊張感があったと思います。
そうですね。脚本をいただいたタイミングでプロデューサーさんと決起集会のようなものがあったのですが、そこで「この映画は、あなたのこの日のこのシーンがすべてだから」と言われて、撮影は半年後くらいでしたが、もうカレンダーにぐるぐる丸をつけて、「この日まで死ぬ気の努力をしなくては」と思いました。あのシーンの撮影日に役としての命が尽きるくらいの努力をしなくてはと思って。その日を迎えるまでは本当に怖くて、終わってやっと息ができたくらいの緊張感がありましたね。

——あの歌唱シーンは何テイクくらい撮ったんですか?
ライブシーンは3回くらい撮りました。ライブシーン専用のカメラが13台くらい入っていて。もちろん本編を撮影するカメラも入っていたので、どこから撮られているかわからないし、どの瞬間を切り取られるかもわからない。でも、それがよかったんです。EIKOとしてライブをして、それをお客さんに届けられたらという思いで臨みました。
全編通してこだわったのが、なるべく歌唱シーンは同録(セリフや歌を現場で録音すること)で撮るということです。音楽映画はほとんどの場合、事前レコーディングをして、それに合わせてリップシンクで演じることが多いのですが、あのシーンのEIKOの気持ちを考えたとき、どうしても同録でお願いしたかったんです。その臨場感はきっとスクリーンで楽しんでいただけると思います。
──EIKOの覚悟を生々しく感じられるシーンだと思います。萌歌さん自身が俳優としてもシンガーとしても、これからも絶対に貫きたい、死守したいことは何ですか?
私の原動力として、やっぱりエンターテインメントが大好きというところがあります。どれだけお芝居や自分の歌に落ち込んでも、映画がそこに息を入れてくれるし、歌がいつでも救ってくれる。「エンタメで落ち込んで、エンタメに救われる」ということを繰り返しているので、表現に対する愛や情熱は絶対に絶やさずにいたいと思います。それがないと、きっと今まで立っていられなかった。そう思ったことが何度もあります。お芝居や歌があったから今の自分があるし、同時にお芝居や歌に殺されるような感覚になった──.そう言うと、大げさに聞こえるかもしれませんが、本当にそういう感覚があるんです。でも、それは好きなことを仕事としてやらせていただく以上の宿命だと思うし、それも幸せなことだと思うので。

そういう気持ちを加速させながら、自分よりも長生きする作品を作りたいと思います。私が今好きな映画作品って、もう監督や出演者がご存命ではないものも多いんですね。でも、それらの作品が実際にこうやって私のもとに届いているということは、その映画の持つ魂は、誰かが忘れないかぎり絶対に死ぬことはないと思うんです。
6歳から9歳までメキシコに住んでいたときに知った「死者の日」という文化があって。映画『リメンバー・ミー』でも描かれているように、その文化には「2度目の死」というものがあって、誰かが思い出しているかぎり、その人は死なないという考え方があります。自分が死んでも世間的に残るということだけじゃなくて、誰かの心に生き続けられるような作品にひとつでも多く関われたらと思いますね。
——メキシコでの体験がご自身の死生観にも影響していると。
そう思います。友人から聞いたのですが、人は幼いころに見たもので、人生の色彩が養われるという話があって。私のそれってきっとメキシコだと思うんです。壁画が街中にあるような場所で、人の血の色などもたくさんの絵を通して触れたので。自分が脚本を読んで想像する画が鮮やかなのは、きっとそういう経験や幼いころに見たものの影響なのだと思います。

——今日のスチール撮影はプライベートでも親友という笑子さんが担当したので、きっとふたりだからこそ生まれる空気が写真に写り込んでいると思います。
今日、ここで会うまで笑子が撮ってくれることを知らなかったのでビックリしましたけど(笑)、本当にうれしかったです。私自身、友人は全然多いタイプじゃなくて、プライベートで会うのは地元の友人と大学の友人くらい。本当に信じた人としか一緒にいたくないという気持ちがあります。笑子とは大学時代に運命的な出会いをしたんです。自分の活動も応援してくれているけど、本当に素の自分を楽しんでくれる人で、会うときはほぼ女子高生みたいな話しかしていなくて(笑)。いつだって自分を常温に戻してくれる存在です。自分の全部をオープンに見せられる人は限られているので、友人たちには本当に感謝しています。
