全力で走り抜けた映画『パリピ孔明』公開を迎えた胸中とは
観たもの、演じたもの、歌ったもの全てが原動力。上白石萌歌が表現者であり続けられる理由
2025.04.28 18:00
2025.04.28 18:00
「歌も芝居も、自分のなかでは両輪という感覚があります」と上白石萌歌は語る。俳優としての繊細な表現力と、adieuというシンガーとして紡ぐ内省的な音楽世界。ふたつの顔を持つ彼女は、テレビドラマに続き映画『パリピ孔明 THE MOVIE』で月見英子=EIKOという役を通して何を掴んだのだろうか。
「エンタメで落ち込んで、エンタメに救われる」という言葉には、表現の世界に全身全霊を捧げる覚悟と、誰かの心に生き続けられる作品を創出したいという切実な願いが込められていた。

EIKOとして歌うことで開かれる道がある
——萌歌さんは、キャリアの初期から俳優業とシンガーとしての活動を両立されていますが、ご自身のなかではどのようなバランス感覚でそれぞれの作品や現場と向き合っているんでしょうか?
本当に歌も芝居もどちらも作用し合っていて、自分のなかでは両輪という感覚があります。自転車で言うところの前輪と後輪のように、自分を保って進めていくための大切な要素だと思っています。たとえばadieuとして歌うときも、曲のなかで生きている主人公の人物像を想像します。この曲の主人公はこういう服を着るだろうな、こういう靴を履きそう、人を好きになるならどんな人だろう?とか、そういう想像をするときも、お芝居のアプローチが生きています。

逆に最近気づいたんですが、お芝居をしているときにも歌を見出す瞬間があるんです。それぞれの役のテーマソングを自分で考えています。今、ドラマ(TBS系ドラマ『イグナイト-法の無法者-』)で弁護士の役をやっているんですが、今の役にはMåneskinの「GOSSIP」という曲を合わせていて。ロックでエモーショナルな感じの曲調が、私が演じる弁護士のイメージにぴったりなんです。
私のなかではずっと歌に生かされ、お芝居に生かされという関係があるので、どちらも大事で、どちらかを失うことは想像できません。その年によってお芝居の割合が多くなることはありますが、心の中では常に同じくらい大事に思っています。

——そういう意味でも『パリピ孔明』において月見英子=EIKOという役は萌歌さんにとってすごく自然に体現できる部分もあるとも思うし、逆にEIKOが歌う楽曲はadieuの音楽性とはかなり異なるので、ご自身がシンガーであるからこその難しさもあるんじゃないかと思うんです。そのあたりはどうでしょうか?
たしかにEIKOが歌う曲は、曲調もアレンジも、私がadieuとして歌っている楽曲とは全く違うタイプのものです。それぞれ求められている声も全然違います。adieuの歌はわりと内省的というか、素の自分にかなり近いんですね。
一方、EIKOの曲はよりブライトで明るく、力強い声で歌うように目指しました。アレンジもきらびやかですし。今回、劇中で歌っている「Count on me」(Saucy Dog石原慎也が作詞作曲を担当)は、どこを切り取ってもサビみたいな曲で、デモでも石原さんが擦り切れるような声で歌っていらしたんですね。いつもの発声では絶対に表現できない気がして、お世話になっているボイトレの先生のところにもう1回通い直して、「こんな声で歌いたいんです」とか、「もっと喉に負担をかけるような歌い方はできないですか?」という相談をしました。
そうやってEIKOとして歌うことで開かれる道もたくさんあって。今まで歌ったことのないタイプの曲を歌えたことで、今後の表現にも生きる瞬間があるだろうと思います。
——今後、adieuでもブライトな楽曲が生まれる可能性もあるということですか?
あると思います。基本的にadieuのライブではスタンドマイクの前から一歩も動かないんですね。でも、EIKOはステージ上を動き回ったりもするので、ドラマの撮影中にステージングの先生に曲の中での動き方を教わったりもしたんです。そこでいろんな音楽の楽しみ方や身体の活かし方があるんだなと気づきました。そういう意味でも可能性が広がったような気がします。
次のページ