最新ドキュメンタリー映画の裏側、盟友・番場秀一を語る
偶然結実した森山直太朗の必然 映画でしか表現できなかった、言葉にならない感情とは
2025.04.04 18:00
2025.04.04 18:00
ここで向き合わないと次に行けなかった
──そういう経緯でしたか。
僕も他人事のように言うんだけど、あれ音声だから良かったんだろうなと思って。その音声が流れている時に真っ白い映像というか微妙に色味がかった……番場監督にも訊いてないんだけど、あれって危篤状態にある、視覚も臭覚も触覚もいろんな五感が失われて最後聴覚だけが残った、父親が見ていた世界なのかな? と思って。だから映像的にそれだけでもなんかとっても自分が死を体験しているような気持ちになったっていうか。だからどこか怖い部分や恐怖もあるんだけれども、でもその真意は番場監督の脳みそがどうなってるかわからないから。どういうふうに考えてどういう狙いでもって、はたまた狙いなんか全く持たずに天然でやってのけたことなのかもわからないですけど。

──森山さんがご家族3人で再会されると、それまでの約40年が高速回転し始めることを疑似体験するというか、すごく体験的な感覚も多くて。
僕なんか本当にもがいてあがいてる方だと思いますけど、父親との関係とか親子の関係って歳をとるごとにもう諦めていくじゃないですか、どっちも。僕にとって家族の再会はプロセスとして僕の人生にとって必要だったってことだけだし、だけどそれが他の人にとっては必要かどうかっていうのは全然別の話で。だけど僕はこういうふうにもがいてあがいたよっていう。そしたらほとんど諦めかけていた父親との関係が変わったり、母親とも今もなお色々ありますが、森山家は森山家でいろんな問題を内包しながら、馬車馬のごとく人生を進んでいて。
そう、だから僕の場合はやっぱり今でももがいてますしね。それはどこかで自分が伝えきれなかったとか正直になりきれなかった子どもの頃の気持ちっていうのを、この段になって見つめて苦しんだり……嫌な自分と向き合ったりっていう。普通は諦めて次へ行くのに(苦笑)、ここと向き合わないと次に行けないっていう自分がどっかにいて、それが今回は映画の大切な要素の一つになっているとも思いますね。

──映画は「素晴らしい世界はなかった、真っ白だ」と終わっても、次の日からなんともないってことないですもんね。
いや本当そう、おっしゃる通りで。だから僕自身、ずっと執着してたのが、やっぱり家族3人で暮らしたい、あるいは暮らさなくてもいいけど一緒に会えるようになりたいとかいうことで。でもそれがままならない関係性だったから。だけど本当にあの束の間、あの3時間後父は他界したんですけど、38年ぶりぐらいにふと我に返ったら「え? 3人でいるじゃん」と思ったら、「なんだこれ?」と思って。結局それを僕はたぶん38年間どこかで求め続けてきて、その世界にたどり着けたと思ったら、その時間はもう手からすり抜けていくみたいな。
でもそれは決して絶望的なことじゃないというか、「そっかこれ以上このことを求めなくて、追い続けなくていいんだ」っていう安堵があったんです。それが『素晴らしい世界』の両国公演のあの曲を歌ってる時に気づいた感覚と、その母親と父親と再会できた感覚とすごく複雑に絡み合っているんですね。だからなかなか言語化できない感覚、感情がそこには流れてるんですけど。そこで僕が自分で「こうこう、こういうことなんですよ」って説明するのと、番場監督がいろんなパズルを組み合わせて一つのエネルギーにするのは全然違うもので、(映画では)後者の形になっているから、もうただあっぱれでしたね。なんかすごくていのいい落語を聞いてるような、ちゃんとオチまでしっかりあって(笑)。だからきっと映画じゃなきゃ表現できなかったことなのかもしれないですね。

──そして、映画で選曲されている楽曲はライブ映像からさらに絞られていて、より映画の内容に沿っている印象を受けました。
そうですね。でも僕に関してはもう、「これとこれは必要ないんじゃないかな」とか、「これは絶対映画の中で流して欲しいな」みたいな、割と楽曲単体としてのアイデアを番場監督に投げていたんですが、仕上がりを見てまさか「papa」って曲をあの流れで聞かされたり、あるいはネタバレみたいになっちゃうけど「愛し君へ」っていう曲がこういう響き方をするとは思ってなかった。だって現実、あの両国ではあんな響き方してなかったですからね。だから映像で見るとまた全然違う原風景がそこに立ち上がるっていうすごい不思議な体験でしたね。
──徹頭徹尾、森山さんと番場監督の関係性で成立しているのかなと。
そうですね。長いですよね。僕がここ7年ぐらい、自分が、ひとりでやっていくんだ、ざっくり言うとひとりでやっていかなきゃいけないんだっていう季節から彼はずっと僕の失敗も含めて、その年月とか季節を見てきている唯一の映像作家さんなんで、共有できる景色がすごくたくさんある。そういう意味ではコンビネーションというか、より言葉をあまり必要としないっていうか。もともとその番場監督も言葉が達者な人じゃないから、その中で景色を共有できるっていうのは大きいなって思いましたね。
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