ヒップホップで社会を生き抜く! 第20回
ファンクのパイオニア、ジョージ・クリントンのレガシーから学ぶ “次世代に繋げる精神”
2023.05.28 16:00
ジョージ・クリントン
2023.05.28 16:00
先日開催された「LOVE SUPREME JAZZ FESTIVAL JAPAN 2023」初日のヘッドライナーを務め、その前後にはビルボード会場での来日公演も実施した伝説的なファンクアーティスト、ジョージ・クリントン。ジェームス・ブラウンとスライ・ストーンに並びファンクのパイオニアとしてパーラメントとファンカデリック(Pファンク)を率いた彼の功績は計り知れない。もちろんシンセサイザーを使用したファンクやポップスの歴史を語るにおいてPファンクの存在は欠かせないが、特にヒップホップはジョージ・クリントンがいなければ今の形になっていなかっただろう。ヒップホップをやっている時点で何かしらの要素でジョージ・クリントンとPファンクに影響されていると言っても過言ではないが、ジョージ・クリントンのレガシーから学べることを紹介したい。
ジェームス・ブラウンの元ベーシストでありファンクベースのパイオニアとなったブーツィ・コリンズ、今では定番であるモーグ・シンセサイザーを開発初期から積極的に使用し、後のシンセサイザーミュージックの多大な影響を与えたバーニー・ウォーレル、楽曲「Maggot Brain」のアドリブギターソロが伝説となっているエディ・ヘイゼルなど、時代の最先端をいくメンバーと共に次世代のファンクを作ったジョージ・クリントンだが、彼はキャリアで何度もアップダウンを経験している。
1970年代から1980年代前半にかけて「Mothership Connection」「Tear the Roof Off the Sucker (Give Up the Funk)」「Flash Light」「One Nation Under The Groove」「(Not Just) Knee Deep」「Atomic Dog」などのヒット曲を世に出したが、レコード会社に不利な契約を掴まされ、長年自分が得るべき対価と権利を得ることができなかったとジョージ・クリントンは語っている。さらにドラッグ問題や音楽トレンドの変換などもあり、1980年代中盤には破産申請をしたとも報じられた。そんな彼はアップダウンを経験したにも関わらず何度も復活し、81歳になった今でも再びフェスのヘッドライナーを務めるほどの活躍を見せている。
彼のキャリアとレガシーの“復活”における大きな要素の一つが、若い世代を認め、愛したことだろう。ヒップホップが1970年代に生まれ、1980年代後半にはメインストリームで成功するアーティストも増えてきたなか、“サンプリング”で音楽を作るという新しい手法を快く思っていないアーティストも多かった。自分たちの楽曲の一部が他のアーティストによって使用されることを嫌っている人は多く、サンプリングしたヒップホップアーティストを訴える事例も多かった。そのなかで、ジョージ・クリントンは昔からサンプリングにも寛容であり、ジェームス・ブラウンと並び最もサンプリングされたアーティストの一人として知られている。デ・ラ・ソウル、ドクター・ドレー、スヌープ・ドッグ、アイス・キューブ、2Pac、レッドマン、EPMD、チャイルディッシュ・ガンビーノなどのアーティストにサンプリングされ、1993年にはサンプリング用にステムトラックが収録されたアルバム『Sample Some of Disc, Sample Some of D.A.T』シリーズをリリースしている。
ジョージ・クリントンは、今年の頭に人気ポッドキャストDrink Champsに出演した際にも以下のように語っている。
「上の世代に“こんなの音楽じゃない”と言われるような新しい音楽が出てきた瞬間に、彼らがやっていることを理解したいんだ。それが次にくる音楽だし、みんながまだ認めていないアーティストでもヴァイブスでわかる」
「自分がインスパイアされるし、今起こっていることを知ることができる。そうしないと歳をとってこの世界から出ていかなきゃいけなくなってくるからね」
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