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自分のイメージを変えたいとも発言

2Pacが音楽活動から離れたいと生前語っていたことが判明

2023.04.25 18:15

出典:https://youtu.be/tsxkOzrSebc

2023.04.25 18:15

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1996年に25歳という若さで亡くなった伝説的なラッパー2Pac。社会的なメッセージを込めたリリックで世界中のファンの心を掴み、ロックの殿堂入りを果たした初のラッパーとなった。今でも多くの人に聴かれるレジェンドだが、ドキュメンタリー『Dear Mama』公開を記念して、エンタメ番組「Entertainment Weekly」が1996年当時のレアなインタビューを掲載した。

2Pacが亡くなった年に実施されたインタビューだが、彼は映画『Gridlock’d』について、以下のように語っている。

「この映画をやろうと思ったのは、自分のイメージを変えるためだ。この映画は友情と、無条件の友情の意味を描いたものだ。面白いし、今まで自分のファニーな一面を見せることができなかったから、この映画をやろうと思ったんだ」

生前最後のアルバム『All Eyez On Me』を悪名高いシュグ・ナイトのレーベル〈Death Row Records〉からリリースし、ギャングスタなイメージになった2Pac。彼はノトーリアス・B.I.Gや東海岸のラッパーたちをディスした「Hit ‘Em Up」でもハードな一面を見せていたが、自分のイメージを変えたいと語っている。

また、自身の映像会社を立ち上げ、音楽活動から離れようとしているとも発言した。

「良いことがとてもたくさん進んでいるよ。自分の最近の運勢からして、今の時点で全部言ったら失敗してしまいそうだから言わないけど。1ヵ月くれたら、ちゃんと確定させてみんなに発表できるよ。とにかく自分ができる範囲を広げて、仕事をたくさんしたい。音楽から遠ざかって、もっと俳優業をやりたい」

2Pacはアーティストとしてだけではなく、1992年に『Juice』で俳優としてデビューし、その後『Poetic Justice』『Above the Rim』などの映画に出演している。

1996年9月魔の凶弾に倒れ、25歳の若さでこの世を去ったトゥパック。
本名、トゥパック・アマル・シャクール。
トリッキーかつユニークなヒップホップ・グループ=デジタル・アンダーグランドの構成員としてヒップホップ界潜入後、91年ソロ・デビュー。以来『ミー・アゲインスト・ザ・ワールド』(95年)、『オール・アイズ・オン・ミー』(96年)といった歴史的ヒップホップの名盤/ミリオンセラーを連発。映画『ジュース』(92年)をはじめ俳優としても活躍、また暴行、レイプ、 投獄というセンセーショナルなゴシップを放ち続け絶大な人気を確立。当時米ヒップホップ界に起こっていた西海岸vs東海岸抗争の矢面に立った彼はその抗争の象徴的な西海岸の犠牲者として死を迎える(東海岸の犠牲者はザ・ノトーリアス・B.I.G.)。死の直後も、獄中で目覚めた『君主論』(政治思想家マキャヴェリ著)に基づくマキャヴェリ名義のアルバムが発表され全米初登場1位、98年暮れに未発表アルバム、99年2月に未発表曲を含むベスト・アルバムがリリース、いずれもが大ヒットを記録。同年末には晩年の”ホーミー”=アウトロウズとの連名で『スティル・アイ・ライズ』をリリース。エミネム、スヌープ・ドッグ、ドクター・ドレーが惜しみないリスペクトをし続けるなど、いまだその人気は衰えを知らない。

(引用)https://www.universal-music.co.jp/2pac/biography/

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