伝説的ロックスターに魅せられた2人が語り合う創作の源泉
ブレット・モーゲン×小林祐介『ムーンエイジ・デイドリーム』で新たに邂逅するデヴィッド・ボウイ
2023.03.24 17:30
2023.03.24 17:30
今の日本人にこの作品を観てほしい
──この映画には「変わっていくこと、老いていくこと」を肯定する側面も感じました。それと共に、この作品は“聴くベストアルバム”じゃなく“体験するベストアルバム”とも受け止められたのですが、この作品は若者を意識して作ったのでしょうか? それともボウイの全盛期を知っている世代向けの映画なのでしょうか?
モーゲン監督 デヴィッド・ボウイは1980年代のちょっと道を外れた時期を別にすれば、自分の観客層を全く想定してなかったアーティストだと思います。ちなみに『ボヘミアン・ラプソディ』が出たときに、僕はドルビーアトモスの音楽の音づくりに興味があったから15日間で14回観たんです。個人的には『ボヘミアン・ラプソディ』は傑作だからではなく、いわゆる「分かりやすい」映画だったから成功したと思います。だから、今回デヴィッド・ボウイ財団の執行人の方に会いに行った時、二つの作り方ができると言いました。一つは『ボヘミアン・ラプソディ』のような参加型で何も考えずに観られるようなものにするのか。あるいはデヴィッド・ボウイの魂にもっと忠実なものを作るか。つまり、たとえ商業的な時代があったとしてもアヴァンギャルドだった彼に沿ったものを作る。そのやり方を貫いた上でもメインストリームで弾けた時もあったので、そういう形でメインストリームの方にも届くような作品になるかもしれない。どちらがいいか聞いたら、「監督が決めてください」と言われたのと、「でもデヴィッドはリスナーを決めて作品を書くってことはなかったよ」と言われました。でも私はずっとターゲットを考えていました。
今回は3パターン考えていたのですが、まず一つが熱狂的なファンです。すべて聴いてるし、見てるという方々に、新たにデヴィッド・ボウイについて教えることなんてないと思っていました。でもこの映画は、そもそも情報を提供している映画ではなくて体験してもらう作品なので、そういうファンに向けては見たことがない映像を入れることや、きれいな映像に編集してプレゼンテーションすることがまず必要だと考えました。また、音環境がいいところで見ていただくので、今まで聴いていた大好きなデヴィッド・ボウイの音楽を、ドルビーアトモスで体感するという機会も提供できると考えたんです。
それから一般的なファンの方々には、2時間15分の尺で、彼が歩んだ道のりを新たな文脈で置いてみることができるのではないかと考えました。でも、ファクトを全部入れていたら2時間15分ではもちろん彼の生涯は描けないので、「いつ、何があったのか」みたいな情報は排除しています。そしてデヴィッド・ボウイのことを聞いたことはあるけれど良く知らない観客には、彼から教えられるものがあると思いました。自分の生涯に経験してきたことなどを重ねながら観ていただけるような映画にしようと考えました。
──デヴィッド・ボウイは日本の歌舞伎をとても好きだったと思います。小林さんは日本ってここが最高だと思うポイントはありますか?
小林 僕が改めて好きだと思うところは、良いところと悪いところがあるけど日本の“国民性”ですね。自覚していないけど神道的な宗教観などが生活に根付いているっていう部分や道徳観だったり。他にも禅のような思想だったり、老子・荘子的な思想が文化の奥底に根付いていると思うんですけど、そういうものが今は特に失われつつあると思うんです。そういった日本人が失いかけているものを、この映画の中のキーワードやちょっとした発言でたくさん思い出させてもらいました。
今現代の自分たちは自分自身を尊重することとか、丁重に扱うという大切なことを忘れがちになっていて、自分がどういう人生のミッションをやり遂げたいかという視点を見失っていると思うんです。エゴばかりが大きくなっていって本当の自分達を見失ってる。そういう失っていくこと自体を気づかせてくれる映画として、僕は今の日本人にこの作品を観てほしいと感じさせてもらいました。
モーゲン監督 ああ、ありがとう。とても美しい言葉で感動しました。
小林 監督は日本のどんなところがお好きですか?
モーゲン監督 実は、歌舞伎は僕も前から好きなんです。デヴィッド・ボウイが好きだったということもあって、この映画を作る中で歌舞伎というものをより深く掘り下げることができたように思います。もともと僕はフィルムメーカーとして、劇作家・演出家のベルトルト・ブレヒトに一番影響を受けているのですが、歌舞伎とブレヒトの考え方で少し似ているところがあって、それは過程を認知した上で創り出しているというところだと思います。西洋のアートの場合、騙しているわけではないけれども、工程を見せない。でも、歌舞伎は裏側がどうなっているのかを見せて、それもまた表現の一部になっています。裏側を見せることで、より観ている者も受け身にならず、物語づくりに参加することができる。そういう部分がデヴィッド・ボウイにも響いたんじゃないかと思うし、まさにブレヒトが語っていたポイントじゃないかなって思います。
日本の思想的なことについて感じることも多いです。面白かったのは、1978年に9歳で初めて日本に来てパチンコ屋さんに入った時、音の洪水で、日本の静や秩序的なものと真逆じゃないかと思いました。常にノイズや俗っぽいもの、動的なものと静的なものを行き来している、それが日本なのかな、と思いました。実はさっき別の取材で、僕も日本の観客が一番理解してくれるかもしれないって言ったんですが、それはもしかしたら、まさにこの映画が動と静の行き来がある映画だからかもしれないですね。