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メンバーが語る警察とのギリギリの攻防

ディープ・パープルの名リフが生まれた緊迫した状況とは?制作中に警察が乱入した事件を語る

2023.03.14 15:15

ディープ・パープル『Machine Head』

2023.03.14 15:15

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ハードロックのパイオニアとして、後のロック/メタルバンドに多大な影響を与えた伝説のバンド、ディープ・パープル。数々の名曲を生み出し、特に「Smoke On the Water」のリフは最も有名なリフの一つとしても認知度が高い。Classic Rock誌の最新号にて、そんな「Smoke on the Water」の制作秘話が紹介されている。

アルバム『Machine Head(1972)』の経緯は過去にも頻繁に紹介されているが、本来ローリング・ストーンズの移動式スタジオを借りて、モントルー・カジノでレコーディングを行うはずであった。しかしモントルー・カジノで行われていたフランク・ザッパのライブにて、観客の一人が撃った信号弾が建物に燃え移り、カジノは全焼。そのためディープ・パープルは、場所の変更を余儀なくされたことは広く知られている。

The Pavilionシアターに移動したバンドだが、メンバーによると22時には音出しをやめないといけないルールがあるなか、深夜まで演奏をしていたようだ。騒音に近隣住民が苦情を入れたことで、レコーディングセッション中に警察が乗り込んできたとリッチー・ブラックモアは語っている。

「そこで“Smoke On the Water”をやって、その場のノリでリフを作ったんだ。イアン・ペイスと一緒に作って、そこにロジャー・グローヴァーが参加した。ブースから出て、テイクを聴いていたら、ドアをハンマーで叩いたかのような音が鳴った。地元の警察で、私たちがうるさいから全てを止めようとしていた。私たちは完成に近づいていたことから、エンジニアのマーティン・バーチに“もう1テイクできるかやってみよう”と提案した。警察は外でずっとドアを叩いていて、銃とかを取り出していた」

エンジニアのマーティン・バーチは、続けて以下のように述べた。

「午前2時ぐらいのことで、近隣住民から苦情が入っていた。私たちは全てのドアを言葉通りロックした。あのリフと警察がドアを叩きながら“警察だ! ”と叫んでいるのが聞こえる感じだった。“失せろ!”って言いながらトラックをレコーディングし終わって、警察が乗り込んでくる前に無事逃げ出せたんだ」

幸い「Smoke On the Water」のレコーディングを完了したが、当初はアルバムに収録する予定ではなかったとイアン・ギランは明かしている。

「アレンジもしていない、ただのジャムだったんだ。アルバムにするには時間が足りなかったから、とりあえず曲数を埋めるために収録することにした。良いクオリティのアルバムにするには38分は必要だった。7分ぐらい足りない状態で、制作にあと1日しかなかったから、この曲を発掘してボーカルを乗せたんだ」

『Machine Head』をリリースした当初は、「Smoke on the Water」が成功するとは誰も思っていなく、ここまでアイコニックな曲になるとは予想していなかったと、ロジャー・グローヴァーはコメントしている。

ディープ・パープル

アーティスト情報

68年、英国にて、ジョン・ロード(key)、リッチー・ブラックモア(g)、イアン・ペイス(ds)、ロッド・エヴァンス(vo)、ニック・シンパー(b)というラインナップで結成。同年、バンドは、米国の『Tetragrammaton Records』と契約を交わし、デビュー作「SHADES OF DEEP PURPLE」をリリースする。
69年、エヴァンスとシンパーが解雇され、後任としてイアン・ギランとロジャー・グローヴァーが加入。第2期を迎えたバンドは、ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラとともにコンサートを行い、その模様を収めたアルバム「CONCERTO FOR GROUP AND ORCHESTRA」としてリリースした。70年には、第2期としての最初のスタジオ・アルバムにして傑作4thアルバム「DEEP PURPLE IN ROCK」を発表。これにより祖国イギリスでの人気と地位も確立した。続く5thアルバム「FIREBALL」は71年にリリースされ、全英No.1を獲得。そして72年、“Smoke On The Water”や“Highway Star”といった名曲を多数収録した6thアルバム「MACHINE HEAD」をリリース。同年8月の初来日公演はレコーディングされ、「MADE IN JAPAN」としてライヴ・アルバムの傑作として高評価を得る。
その後、7thアルバム「WHO DO WE THINK WE ARE」を発表するも、メンバー間のギクシャクが影響して73年にギランとグローヴァーが脱退。ふたりの後任には、デイヴィッド・カヴァデールとグレン・ヒューズを迎え、第3期DEEP PURPLEは8th「BURN」を74年に発表。同年、9th「STORMBRINGER」がリリースされた。
しかし、音楽性の相違を理由に、新たなバンド結成を計画していたブラックモアが75年に脱退。バンドはすぐに、アメリカ人ギタリストのトミー・ボーリンを加入させる。そして、第4期の最初の作品にして通算10枚目「COME TASTE THE BAND」を75年にリリース。同年12月にジャパン・ツアーを行なうも、翌76年に解散。
84年、黄金のラインナップとされる第2期のメンバー(ギラン、ブラックモア、ロード、ペイス、グローヴァー)で再結成。同年、傑作とされる通算11枚目のスタジオ・アルバム「PERFECT STRANGERS」を発表。その後のツアーも世界各地で人気を博し、再結成はファンに熱狂をもって迎えられた。そして、87年には再結成第2弾となる12thアルバム「THE HOUSE OF BLUE LIGHT」をリリースするも、ブラックモアとの確執により、88年にギランが2度目の脱退。そして、DEEP PURPLEを脱退していた間にブラックモアとグローヴァーが活動していたRAINBOWのジョー・リン・ターナーがシンガーの座に就いた。13thアルバム「SLAVES AND MASTERS」を90年に発表するも、ターナーは92年にはバンドを去る。
シンガーを失ったバンドに、92年、ギランが2度目の復帰を果たし、第2期DEEP PURPLEとして14thアルバム「THE BATTLE RAGES ON...」を93年に生む。が、そのアルバムを携えてのツアー中に、ブラックモアが突如脱退。バンドは、ジョー・サトリアーニを急遽代役に立て、日本公演を含む残りの日程を乗り切った。
94年、DIXIE DREGSやKANSASでも活躍してきたアメリカ人ギタリストのスティーヴ・モーズが正式メンバーとして加入し、15th「PURPENDICULAR」を96年に発表。98年には、16th「ABANDON」をリリースした。ところが、02年にバンドの創設メンバーであり、リーダーシップを発揮してきたロードが脱退を表明。後任は、RAINBOWでも活躍したドン・エイリー。エイリーを迎えた新生DEEP PURPLEは、03年に17作目「BANANAS」を世に送り出す。その翌々年である05年には、『SUMMER SONIC』に初出演。その3か月後の11月には、18thアルバム「RAPTURE OF THE DEEP」を発表した。
2012年7月16日に、ロードが肺塞栓症のため他界。彼の死には、ブラックモアを含むかつてのバンドメイトたちも追悼の意を表した。盟友の旅立ちを経て、バンドは、プロデューサーにボブ・エズリンを迎え、12年に制作を開始した通算19作目のスタジオ・アルバム「NOW WHAT?!」を、海外で2013年4月下旬、日本では同年5月にリリース。そして、2014年4月には、18年振りとなる日本武道館公演を含むジャパン・ツアーを実施。その武道館公演の模様を収めたライヴ作品「...TO THE RISING SUN」を2015年に発表した。
2016年、ようやく『ロックの殿堂』入りを果たす。その称号を携え、2016年5月にも来日し、ツアーを行なった。東京公演は日本武道館。その来日の際に制作途中であった通算20作目のスタジオ・アルバム「inFinite」を2017年4月にリリースした。

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