“奇跡の作品”と語る集大成作が1月20日に全国公開
小沢仁志が還暦に誓う過去へのリベンジ 『BAD CITY』で目指した究極のエンターテインメント
2023.01.20 17:30
2023.01.20 17:30
1月20日より新宿ピカデリー他にて全国で公開される映画『BAD CITY』。「小沢仁志還暦記念作品」と冠される本作は言うまでもなく、俳優や監督といった肩書きや「顔面凶器」「Vシネマの帝王」などさまざまな異名を持つ小沢仁志の一つの集大成となる作品だ。1984年に本格的に俳優デビューし、これまで日本のエンターテインメントの潮流の中で堂々たる活躍を見せてきた彼が、その流れに逆らうかのように、自身のなかでブレない“面白さ”を貫き完成させた本作。主役にして、欲望渦巻く架空の“犯罪都市”で巨悪を相手取るために期限付きで復活を命じられた服役中の元警部・虎田誠を演じている。
CGなし、スタントなしで100人以上を相手に肉弾戦を繰り広げるなど、徹底したトレーニングを行い撮影に臨んだ小沢が、この映画に賭けた覚悟とは何だったのか。公開を迎えるにあたり、作品に込めた想いや製作の舞台裏を雄弁に語ってくれた。なお、小沢演じる虎田と特捜班チームを組む新人刑事・野原恵を演じた坂ノ上茜のインタビューも後日公開予定なのでお楽しみに。
歳だからできないと思ったことはない
──『BAD CITY』完成、そして還暦おめでとうございます。
ありがとう。でも誕生日はもう半年以上前だから(笑)。数字が60に変わるだけで、感慨深さは一切ないんだけど。自覚もないし。
──歳がいくつだから、という役者人生を選んできていないイメージがあります。
役者としてだけじゃなくて自分としても、「もう歳だからこれはできないよ」って思ったことない。未だに草野球のピッチャーやってて、130kmまで球速上げるにはどうしたらいいか必死に研究してるんだから(笑)。
──本作は、「還暦だから一本撮りましょうよ」って担がれた形だったんですか?
これは自分発信。還暦記念で映画を作りたいというのではなく、節目だから『SCORE』(1995年)のリベンジをしたいなって。あれ以来、プロデュースをしたり監督したりは、Vシネマとかではやったけど、映画には手を出してなかったの。あの時の悔しさがすごいあって、「次は絶対勝たないとだめだから」って。そういうリベンジには60歳っていいんじゃないって思って、今回はフルボッコの肉弾戦で行こうと。いざ劇場が決まったら、ほれ、見たことかって。松竹で新宿ピカデリーだよ。場所が一緒。運命なんだよ。ここで乗り越えないと、生涯『SCORE』のトラウマを背負う。だから、セリフの中でもある「ケリをつけてやる。」ってのがキャッチコピーになってるけど、俺の中で『SCORE』のケリなんだよね。
──今回ご自身を刑事・虎田役に据えられた理由は?
刑事が主人公っていうよりも、今回は街とそこにうごめく人たちが主人公。だけど、虎田は何をやるにも潰されていく中で、辞めて警察に行って。検事ってやっぱり、よりそういうところに近いんじゃないのかな。汚職っていうか、取りこまれる側に。現場の刑事レベルって、一介の刑事でしょ、所詮。そういうところに一回虎田は逃げたんだよ。劇中でもあるけど、自分も欲望に負けてそっち側になってたかもしれないからっていう。誰が正義で、誰が悪かっていうのは紙一重……セリフにも入れてるけど、皆が皆そうなる可能性はある。だから、今回はヤクザ映画とかは作る意味なかった。『SCORE』と違ったアクションでフルボッコってなると、ヤクザ映画でフルボッコはおかしくねえかって(笑)。
──皆意識はしっかり街に向いていたというか、街を愛するが故の行動でしたが、虎田がそっちに転んでもおかしくなかったのと同じで、何かきっかけがあれば敵対しなくても済んだのに、という印象で。ポスターの顔ぶれの皆さんで自警団なんて作ったら、また別の意味で「日本統一」できちゃいそうですね。
あのキャストで、全部が警察、検事だったりしたらそれはすごいだろうね。犯罪はなくなるだろうね(笑)。犯罪はなくなるけど、繁栄はするかどうかわからないけどね。
──カウンターたりうることも、必要だったりしますもんね。
アクション映画っていうのは、アクションが起こりうる状況がない限り成立しなかったりするじゃない。これは架空の街だから、貧困と変革と格差があり、そこから抜け出ようとする欲望から、事件が生まれ、悪が生まれ、巨大に育っていくっていうところで、ドンパチが起こったりはあり得るけど、今のリアルタイムの東京で、たとえば都庁の下で殴り合いとかって、それはそれですごいけど嘘っぽすぎちゃって。
本作ではフルボッコのアクションにしたけど、銃を出したいなら、銃を持っていることが必然の国の設定じゃないと。身を守るために持ってるとか、食うために強盗するために持ってるとか、必然じゃないと成立しないじゃん。だから、ヤクザっていう反社の姿だとあり得るだろうっていう形で、銃が出てくることが多い。もしくは警察側。市民が持ってるってあり得ないじゃん。「このアクションをやりたいから映画を作る」ではなくて、「こういう物語だと、どういうものが生まれるか」っていうのがアクション映画の本来の作り方なんじゃないかな。
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