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音質が最悪だったと明かす

ニルヴァーナを手がけたプロデューサーが「Smells Like Teen Spirit」のデモを初めて聴いたときの感想を語る

2022.12.23 18:15

ニルヴァーナ『Nevermind』

2022.12.23 18:15

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1991年にリリースされた2ndアルバム『Nevermind』が世界で3,000万枚以上のセールスを記録した伝説的なバンド、ニルヴァーナ。『Nevermind』のプロデューサーを務めたButch Vigが、今でも世界中の人に聴かれ続ける「Smell Like Teen Spirit」を初めて聴いたときの感想を語っている。

Consequenceのポッドキャストに出演したベテランプロデューサーButch Vig。今までにニルヴァーナ以外にも、スマッシング・パンプキンズ、ミューズ、ソニック・ユースなどの作品を手がけたプロデューサーであるが、彼は初めて「Smell Like Teen Spirit」を聴いたときのことを以下のように語っている。

「スマッシング・パンプキンズの“Gish”を完成させたすぐ後だったと思う。〈Geffen Records〉(ニルヴァーナが契約していたメジャーレーベル)は、メジャーアーティストを手がけたことがあるビッグネームにニルヴァーナをプロデュースさせようと思っていたらしいんだ。私はインディーズのアーティストしかやったことがなかったから。でもスタジオに入る予定の1週間前ぐらいに、“会ったビッグネームのプロデューサーを誰も好きになれなかったから、Butchにプロデュースしてほしい”って電話がきたんだ。

カセットが送られてきて、そのカセットを聴いてみたら、カート・コバーンが“ヘイ!新しいドラマー、デイヴ・グロールが加入したよ!彼は世界で最も良いドラマーなんだ!”って言っていた。その後ろでデイヴ・グロールが“おーいButch!”って言っているのが聞こえた。そこから4カウントが始まり、“Smells Like Teen Spirit”が流れた。彼らはバンド演奏をラジカセのマイクで録音していたから、めちゃくちゃ音が歪んでいて、まじでクソみたいな音がした。音源はファズがかかったような歪みの壁だったけど、コード進行や、“Hello, Hello”のパートも聞こえた。そのカセットに入っていた他の曲ももちろん良かったけど、音質は最悪な状態でも“Smells Like Teen Spirit”が特別にイケてるとわかった」

初めて「Smells Like Teen Spirit」を聴いたときの感想を語ったButch Vig。また、彼は「ニルヴァーナはレコーディングの準備をするため、半年間毎日リハーサルに入っていた」と明かしており、ニルヴァーナのメンバーたちが制作にフォーカスしていたと述べている。

作品情報

ニルヴァーナ『Nevermind』

『Nevermind』

『Nevermind』

ニルヴァーナ『Nevermind』

1991年9月24日(火)リリース

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収録内容

1. Smells Like Teen Spirit
2. In Bloom
3. Come As You Are
4. Breed
5. Lithium
6. Polly
7. Territorial Pissings
8. Drain You
9. Lounge Act
10. Stay Away
11. On A Plain
12. Something In The Way

ニルヴァーナ

アーティスト情報

カート・コバーン(vo,g)
デイヴ・グロウル(ds)
クリス・ノヴォゼリック(b)

ロッ ク・シーンにおいては未だ周辺地域でしかなかった米西海岸ワシントン州シアトルのインディ・レーベル、サブ・ポップから89年にシングル「ラヴ・バズ」で デビュー(当時のドラマーはチャド・チャニング)。同年、デビュー・アルバム『ブリーチ』発表。91年にメジャー・レーベル<デヴィッド・ゲフィン・カン パニー(DGC)>に移籍し、セカンド・アルバム『ネヴァーマインド』を発表。当時、ハード・ロックを含む全てのサウンドが、MTVやラジオでのオン・エ アに適する中高音域を強調した軽いサウンド・プロダクションになっていたが、ニルヴァーナとプロデューサーのブッチ・ヴィグはこの『ネヴァーマインド』で そんなセオリーを全く無視。パンキッシュなアティテュードを込めた歌詞と、確信犯的に中低音域を突っ込んだヘヴィ・サウンドを展開。しかもファースト・シ ングルの「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」は「hello, hello, hello, how low?(ハロー、気分は最低かい?)」というネガティヴなメッセージを放出する、業界の常識からすれば、<最低の>ファースト・シングルだった。した がってこのアルバムは、アメリカ国内での初回出荷数がわずか25,000枚足らず、しかもプロモーションのためのツアーもなし、という悲惨なスタートを切 ることになった。しかし関係者の予想は見事に裏切られる。「スメルズ〜」はラジオとMTVで爆発的なオン・エアを稼ぎ、全米のロック・キッズがあのフレー ズに合せてヘッド・バンギングした。それに呼応してアルバムが全米で300万枚以上のセールス、アルバム・チャートの1位を獲得。この大ヒットは、アメリ カのミュージック・シーンがそれまでずっと目をそむけてきた<重さ>、<暗さ>という要素を表舞台に引きずり出し、それまでのロックの文体を完全に破壊し てしまった。このアルバムを境にして、瞬く間に彼らのフォロワーが続々とシーンに登場し、世界中に<グランジ>の毒が撒き散らされることになった。 2011年現在、アルバムの全世界でのトータル・セールスは2,600万枚を超えている。

あっという間にカリスマ的な人気を獲得したニルヴァーナだったが、続く92年2月にカートがホールのリーダー、コートニー・ラヴと結婚 したのをきっかけに、バンドは一時期活動麻痺状態に。困り果てたDGCはその年末にサブ・ポップ時代のシングル曲による編集盤『インセスティサイド』を発 表し、急場をしのいだ。

翌93年には、ようやくカートの私生活のごたごたが落ち着き、バンドの活動が正常化。待望のサード・アルバム『イン・ユーテロ』を発表 し、米英で初登場1位を記録。ニルヴァーナの人気は浮動のものとなっていた。しかしこの頃から、インディペンデントでパンキッシュでありたいという欲求 と、自分のコントロールを離れてどんどん巨大化していくバンドと自分のイメージの間に生じたギャップに悩み始めたカートはドラッグに深くおぼれ始め、奇行 が目立ち始める。そして1994年3月頭には、興奮剤の過剰摂取による入院騒ぎを起こし(遺書が残されていた、という説がある)、4月には「精神的な障害 により自殺してしまう可能性が高まっている」という診断を下され、入院を強いられることになった。ところが関係者の心配をよそにカートはそこを逃げ出し、 失踪。4月4日に捜索願が出されたが、自宅のバスルームに閉じこもり、頭をライフルで打ちぬいたカートの無残な遺体が4月8日に発見された。この衝撃の死 によって、バンドは解散を余儀なくされた。

その後デイヴ・グロウルは自身のバンド<フー・ファイターズ>を結成し、現在も活躍中。またクリス・ノヴォゼリックも<スウィート 75>として活動を再開した。コートニー・ラヴは女優として映画『ナチュラル・ボーン・キラーズ』ほかに出演し、大好評を得る一方、ホールとして活動した が、現在はソロ活動中。

(引用)https://www.universal-music.co.jp/nirvana/biography/

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