来日したグラスゴーの天才ビートメーカーにインタビュー
ハドソン・モホークが語る音楽ルーツ、ターンテーブリストからプロデューサーへの軌跡
2022.11.25 18:30
2022.11.25 18:30
スコットランド・グラスゴー出身のDJ、ビートメイカー、プロデューサーとして活躍するHudson Mohawke (ハドソン・モホーク)。ヒップホップやソウルの要素をレイヴ、ビート・ミュージック、エレクトロニックに詰め込み、常に先進的なサウンドでビートミュージックのパイオニアの一人として、多くのプロデューサーに影響を与えてきた。イギリスの名門レコード・レーベル〈Warp Records〉からアルバム『Butter(2009)』でデビューし、ルニスとのサイドプロジェクトTNGHTは、後に確立されるダンスミュージにおける「トラップ」というスタイルのルーツを語る上で欠かせない。
ハドソン・モホークの音楽はフライング・ロータスやカニエ・ウェストも魅了し、カニエの『Yeezus』と『The Life Of Pablo』にプロデューサーとしても参加。楽曲「Chimes」は、AppleのMacBook AirのテレビCMにも起用され、今年の8月には7年ぶりとなる自身3枚目のアルバム『Cry Sugar』をリリース。そんな彼が10月に行われたスクエア・プッシャー来日公演のゲストDJとして緊急参戦したので、その出番前にインタビューを敢行した。
──最近は結構ツアーとかやっていますか?
いや、していないよ。前作をリリースして少ししてからツアーをするのは止めたんだ。アメリカに引っ越して、スタジオで作業をしたかった。2016年の終わりにアメリカに引っ越したんだけど、2009年ぐらいからずっと継続的にツアーをしていて、飽きたわけじゃないんだけど、ツアー生活に疲れていた。あまりにもパーティーしていたし、あまりいい状態じゃなかったから、ツアーを止めたほうがいいと思ったんだ。
──今アメリカのどこに住んでいるのですか?
ロサンゼルスだよ。
──僕もロサンゼルスに昔住んでいました。
そうなんだ! 実は僕の父親がロサンゼルス出身なんだけど、僕自身はあまり街との繋がりがなかったんだ。でもLAがどういう場所なのかわかろうとするよりも、実際にそこで時間を過ごしてみたほうがいいと思った。色々まとまっている大都会で時間を過ごした後にLAに行くと、不思議な感じがする。どこに何があるかわからないし、都会のように感じない。孤独な感じもする。でも常に何かが起こっているという感覚もあった。だから住んで6年目になる。
──ハドソンはスコットランドのグラスゴー出身ですが、音楽シーンはどのような感じですか?
UKもアンダーグラウンドのシーンがとても強いんだ。アメリカに引っ越して思ったのは、UKとかヨーロッパで育った僕たちは音楽シーンに恵まれていたということだ。多くの街では、メインストリームなシーンよりもアンダーグラウンドのシーンのほうが大きかったりする。ロンドンもそうだけど、グラスゴーもアンダーグラウンドなライブハウスやクラブのほうが多い。アメリカに引っ越すまで気がつかなかったんだけど、そういうアンダーグラウンドなクラブが多い場所で育ったのは運が良かったと思う。パーティーと音楽そのものを愛する人たちが良いバランスだった。世の中には聴いたことがある音楽じゃないと受けつけない人たちも多いけど、グラスゴーは知らない音楽でも良いものを受け入れる土台があったと思う。
様々なDJやバンドがグラスゴーから出てきたし、ダンスミュージックでいうと、グラスゴーは昔からテクノが強い場所だった。エディンバラがジャングルやドラムンベースの街で、グラスゴーがテクノだった。どちらもオープンな耳を持った人たちが多くて、みんなに知られている曲を聴きたいのではなく、単に音楽を聴いて良い時間を過ごしたい人たちが多かったと思う。
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