『花は誰のもの?』ロングヒット記念インタビュー 2/2
元チェッカーズ鶴久政治が石田千穂に説くヒット曲の大切さ、STU48に願う未来
2022.10.02 12:00
2022.10.02 12:00
瀬戸内7県を拠点とするアイドルグループ・STU48が今年4月にリリースした楽曲「花は誰のもの?」が、USENをはじめ口コミを中心にじわじわと広まっている。発売から約半年経ったいまも、その勢いは止まることを知らず、ダンスリリックビデオは300万回再生が目前に。「ミュージックステーション」への出演も果たすなど、世の中へと波及し続けている。
先に公開したインタビュー前編では、今回採用された「トライアングルセンター」のひとり、石田千穂にSTU48とはどんなグループかを聞いた。後編では「花は誰のもの?」の作曲者で元チェッカーズの鶴久政治を招き、石田とともに世界平和を願うメッセージソングである本楽曲が生まれた経緯や、ここまで広がりを見せている現状について、そして鶴久が思う名曲の定義まで、じっくりと対談で迫った。
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「花は誰のもの?」はいかにして誕生したか
──鶴久さんが「花は誰のもの?」の作曲を行うことになった経緯を教えてください。
鶴久 もともと高校生の頃から1960年代のシュープリームスなどのガールグループが大好きで影響を受けていたので、秋元さんがやられているグループにずっと興味を持っていたんです。秋元さんには、チェッカーズのときに楽曲を作ってもらったり、僕がソロでユニットを組むときもプロデュースや企画をやってもらったりしていて。AKB48が始まった頃、自分はそういうタイプの曲をまだ作れなかったので、グループの過去の楽曲などを聴きつつ素振りをし始めたんです。
──素振り?
鶴久 今のコンペってスピードが速いので、アレンジをやれる人、仮の作詞ができる人、ちゃんと歌える人でチームを組まないと、コンペに提出できるような曲が作れないんですよ。そこから仲間を集めて、3年前ぐらいに形になりはじめたので、ちょうど1年前の48グループや坂道グループのコンペに今回の曲を提出したんです。作ったときから、自分の中で自信があった曲だったので、絶対秋元さんも探し出してくれるだろうなと思って。
──最初、石田さんはどういう状態で楽曲を聴いたんでしょう?
石田 この曲をいただいたときは秋元先生の歌詞じゃなくて、別の歌詞が載った曲を聴かせていただいて。
鶴久 それが、僕がデモテープで仮に入れていた歌詞ですね。
石田 歌詞は違ったんですけどすっごく壮大で、世界観がぱっと広がったというか。実際に歌詞とメロディーと合わさったら本当に素敵で……。
──秋元さんのメッセージ性のある作詞が楽曲に載ったとき、鶴久さんはどのように感じられましたか?
鶴久 届くまで楽しみにしていたんですよ。秋元さんの中で手応えを感じて選んでくれているメロディならば必ず素敵な歌詞を書いてくれるだろうなと期待していたので。そしたら、その予想を遥かに超えました。ちょっと度肝を抜かれましたよ。
──特にどのあたりに度肝を抜かれたんでしょう。
鶴久 最初の「もしこの世界から 国境が消えたら」の時点で、国境というワードを使ったことがすごいなって。落ち着いて聴き始めると、「困る人がいるだろうな」とか皮肉った感じもすごいなと思って。戦争を連想する歌詞というか、差別だったり自分の中のわだかまりだったり、いろいろなことがあるじゃないですか? Dメロの「数え切れないくらいの花が一面に咲いていれば」ってところで、それまでの重いものを花で表現するところが本当に素敵だなと思って。あと、それが彼女たちにすごく似合っている。花での表現がなければ、重いだけの歌だったかもしれないですし、みんながスキップしてくるくる回るんですよ。あそこは本当に素敵ですね。
──石田さんは、メッセージ性や社会性が含まれた歌詞を、どのような心持ちで歌われたんでしょう。
石田 この歌詞を初めて聴いたのがMV撮影中で、みんなで海を見ていたときだったんです。歌詞が来たよって言われて、みんなで聞いたんですけど、ちょうど戦争が始まった時期で。まさか自分が生きている時代に戦争が実際に始まると思ってなくて。この時期に瀬戸内を拠点としている私達がこういう歌を歌えるのはすごく意味のあることだと思ったし、海の向こうの人たちにも届くように歌いたいと思いました。
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