2022.09.04 12:00
2022.09.04 12:00
今日も冷やし中華の昼ごはんの日がやってきた。
夏休みになると毎週やってくるのだ。
絵日記と、アイスと、スイカと、冷やし中華の思い出が強い。
毎年夏が来れば思い出す。
母がせっせと色々な食べ物を細切りにする。卵だとかきゅうりだとか。他は忘れたけどとにかく細切りにしたものを
黄色い麺の上に乗せてつゆをかけて食べる。
毎年食べているので味はなんとなく知っている。
そして家族みんなと一緒に食べるたびに一人ぼんやり思っていた。
これ、美味しいか…?
多分母は料理が下手ではないのでこの料理自体の好みの問題ということはよくわかっていた。そして毎週出てくるので毎週考えていた。この料理のどこが苦手なのか。
だからといって別に残したりとかはしない。小学生のその頃私はとてつもなく口下手というか会話が苦手だったので「なんで?!なんで嫌いなの?!」だとか「そんなら早く言ってくれればよかったのに〜!」とか言われそうで困っていた。
なんなら好きになりたかった。好きにさえなれば「この料理は口に合いません」とかいう返答しづらい会話のスタートになるような言葉を言わずに済むし、この料理自体手間暇かかってる感じが否めないうえ、なんてったって人が作っている。
妹の方はとても好き嫌いのある子だった。気分で食べなかったり、気分でめちゃくちゃ食べたりと気分屋だった一方で、姉の小春はこれは好きだとか嫌いだとかすら口に出さない子供だったのでどちらも親は大変だったと思う。小春に対しては小春のちょっとした反応で「これは好きなのかもしれない。。。」とか予測しながら色々なものを出していたのだろう。習い事も色々やった気がする。水泳、ピアノ、工作、その中で一番食いつきが良かったのがアコーディオンだったわけだから全力で応援してくれていた。
そのまま10年近く経った。毎年冷やし中華は色々なレパートリーを経てまだ健在していた。おばあちゃんの家でも出た気がする。なんで夏になるとみんな決まって冷やし中華を謎に出したがるんだ。小春は蕎麦の方が好きなのに。
しかしながら数年食べ続けて苦手な理由がわかった。
卵麺、問題は卵麺だ。
もはや原因が分かったところでもう10年も食べている。
我ながら感心した。嫌いとはなんなのか。
私は多分卵の加工食品で苦手なものが多いらしい。卵ボーロとプリンも苦手だった。まあ食べれるんだけど。
茶碗蒸しは食べれるし蒸しパンもパンケーキも食べれるから、まあただの自分の勝手な味の好みなのだろう。
いつかの誕生日かそこらにプリンを大量に貰い、さあ食べて!!と言われた時には食べたのだが毎年誕生日にもらうのも困り物だなと思いブログのプロフィール欄には「嫌いなものはプリン」と書くようになったのだが
まあ1つくらいは全然食べることが可能なので特に気にしないでもらって大丈夫です。
そして10年以上冷やし中華を食べ続けている状態が「苦手なもの」に該当するのかどうかはもはや分からないんだが
どうも苦手なものというのは人に伝えるのがどうも気がひけるのでなんでも食べるスタイルを貫いたら特にそんなに差もなくなったように思う。
好きではないと思っていた音楽ジャンルもここ10年で色々聴くようになった。逆に好きになったものもある。打ち込みの音なんぞやも昔はだいぶ理解ができなかったものなんだが今では新曲を全てパソコンで打ち込んでいる自分がいた。
好き嫌いなんぞやは裕福な証拠だよな。なんてことを思いながら冷やし中華を食べていた頃を毎年夏になると思い出すのである。冷やし中華も打ち込み音源のようなものだったのかもしれない。