2025.12.24 17:30
2025.12.24 17:30
美しさと恐ろしさは表裏一体な気がします
──本格的な俳優デビューは今から2年前の2023年。繊細な気質を持つ咲耶さんが、表舞台に立つ俳優というものにどう自分を適応させているのか気になります。
素の自分の状態で人前でお話しするのは緊張します。でも、演じているときは役が自分の中に入ってきているからか、脳内麻薬がドバドバと出て、ものすごく快感なんです。自分でも、こんな内向的な人間がこの仕事をしているなんて不思議だなと思います。でも、人見知りな私も、お芝居をしている間だけは大胆になれる私も、どっちも本当の自分なんです。両者の性質は正反対に見えるけど、自分の欲に素直という意味では同じ。私ってとても欲深い人間なんだなと、この仕事を始めてから気づきました。

──これから出演作を重ねていけばいくほど、どんどん注目されて、いたずらに消費されたり、本当の自分と世間の思う自分との間に乖離を感じたりするようになると思います。そこに対して覚悟はありますか。
両親を見ているので、いろんな受け取られ方をされるんだということはもう折り込み済みです。二世ということで風当たりも強いかもしれません。そこは覚悟というより、もうしょうがないのかなって。
今の時代はSNSという形で自分を発信できるツールがある。それは、私みたいな性格がこの仕事をする上では、すごくラッキーなんじゃないかと思います。自分がどういう人間なのか、インスタを通して自分の口で伝えられますし、それを見て本当の私をわかってくれる人がいれば、何にも知らない人たちにどう思われても構わない。なので、どうぞ自由に受け取っていただければという気持ちです。
──直感で答えてください。今、咲耶さんの頭の中を占めているものは何ですか。
今、ですか。パッと頭に思い浮かんだのは蝶の標本です。
──標本ですか。
生き物や昆虫の亡骸がものすごく好きで、よく標本にするんです。でも、決して悲しいものとして捉えているわけではなくて、美しいなと思います。

──標本といえば、アゲハ蝶の富江についてインスタで書いていらっしゃいましたよね。あれを読んで、こんなふうに世界が見えていたら、ちょっとしんどくなっちゃわないかなって少し心配になりました。
ちなみに、どういう点でそう思われましたか。
──自分のものではない痛みを、自分のもののように捉えてしまうところです。
そういう節はかなり強いです。私は自分とは関係のない人が自分とは関係のない理由で怒られているのを見るだけで、自分が怒られているような気持ちになっちゃって具合が悪くなる。学校という環境が苦手だったのも、周りからの影響を受けやすい性質があると思います。
しんどいですよ、生きるのは。今の世の中は、あまりにも受け取る情報量が多すぎる。だから、普段引きこもりなんだと思います。
──そんな咲耶さんにとって世界は美しいですか。それとも恐ろしいですか。
どちらもあると思います。たとえば、広大な宇宙に比べれば、人間なんて本当にちっぽけな存在。自然というものに、人類は逆らうことはできません。そんな自然に対し美しいと思うこともあれば、恐ろしいと感じることもある。美しさと恐ろしさは、相反するものではなく、表裏一体な気がします。

──なるほど。それでちょっと納得がいきました。さっき標本を美しいとおっしゃいましたけど、僕は標本を恐ろしいと思っていたので。
きっと恐ろしいものって美しいものなんですよね。人間の顔もそうです。ものすごくお顔が整って美しい人って、ちょっと恐ろしくも見えるじゃないですか。あるいは、美しい風景を見てポロポロと涙を流すときもあれば、その厳粛さにたじろぎそうになることもある。世界というものは複雑で、いろんな矛盾を抱えている。それに相対する私もまたいろんな感情に振り回されながら日々を生きている気がします。
──では最後の質問を。人生は喜劇だと思いますか。悲劇だと思いますか。
喜劇だと思います。まだまだ子どもなので、人生なんて語れる立場じゃないんですけど。結局、人間は生きているだけで罪じゃないですか。だったら、喜劇も悲劇もないなって。生きる意味なんて考えることすらバカバカしい。「死ぬも生きるも神様のあくび」という一節が好きなのも、そういう考えからです。死ぬも生きるも神様のあくびなんだから、何が起きても喜劇じゃないかと思っています。




