2025.11.17 18:00
「Do it!YAZAWA 2025」DAY2公演より/Photo by HIRO KIMURA
2025.11.17 18:00
日本のロックのため誠実であり続けた50年
突如として場内に鳴り響く雷鳴のSE。ダンサーやコーラス陣を従えて「SOMEBODY’S NIGHT」から「カサノバと囁いて」へ。「“カサノバ”と囁いて その身体 うねらせた女」の歌唱直後には先ほどの雷鳴をはるかに超える強烈なシャウトを永ちゃんファンへとお見舞い。そのハートを打ち抜いてみせる。ここで再びスクリーンに花畑や手を繋ぐ2人、波などの映像演出が入り、たおやかに爪弾かれるアコギのソロ・タイムだ。続く曲は「ラスト・シーン」。印象的なイントロがスタートするとステージ両袖からそれぞれ白いスーツ、黒いスーツに身を包んだ集団が中央の矢沢を早歩きで横切っていくという「FLESH AND BLOOD」のMVで見られたシーンを鮮烈にフラッシュバックさせる。

重厚なハードロック調のサウンドと哀愁たっぷりのメロディが冴える「共犯者」と、スクリーンに映し出された真っ赤な薔薇を背負って伸びやかな歌声を聴かせる「MARIA」をメドレー形式で続けてプレイすると、再びのMC。ここでは渡米時の入国審査の際に管理官から「何をやってる人なの?」と聞かれ「歌手やってます。ロックシンガーです」と答え「証明できるものはある?」と聞かれたので自身の写真を見せようと思ったものの自分の手元にはなく、「でもここにいる日本人全員、俺のこと知ってると思うよ」と答えたというスーパースターならではのエピソードを披露。「また今度同じこと聞かれた時のために“東京ドーム”って入ってる写真をちゃんと撮っておこうと思った」とのことだ(笑)。

軽妙なMCで場内の空気を柔らかくほぐした矢沢はアコギを手に「もうひとりの俺」を弾き語る。当曲のリリースは96年。当時缶コーヒーのCMソングとして至る所で流れまくっており、筆者が矢沢永吉の音楽に初めて触れた、大好きな楽曲でもある。これが聴けたのがもう、嬉しくて嬉しくて。先のMCでは「時々、自分には音楽しかやれることがねえのかよと思う時もあるけれど、でもこんなにありがたいことはないと思い返して、音楽を続けている。ずっとその繰り返しだよ」なんて意味合いのことを語っていたが、これがまさに「もうひとりの俺」の歌詞と完璧にリンクしているかのように感じられ、えも言われぬ深い感動が全身を包み込んだ。

そんなノスタルジーもラウドな「ワン・ナイト・ショー」中盤に展開された火花飛び散るバックバンドのソロの掛け合いによって吹き飛ばされたかと思えば、キャリア初期の名バラード「古いラヴ・レター」にて再び呼び戻される。その音楽表現の幅広さが感情を様々な形でかき乱していき、心と身体が矢沢のロックンロールに翻弄されていのが分かる。たまらなく気持ちいい。一曲一曲における一挙手一投足の全てがたまらなくカッコ良いのだ。
「昔は客の95%以上が野郎(男)でみんなリーゼント。兄貴なんてよく言われてたけど“俺はお前の兄貴じゃない!”って返してたよ」と茶目っ気たっぷりに昔を振り返る。当時は血の気の多い永ちゃんファンも多く、ポマード臭いわすぐ喧嘩するわで大変だったとのこと。「ここ(日本)にもロックを定着させたい。定着させるためにはただ無茶苦茶に盛り上がってりゃ良いってもんじゃない」と考えた矢沢は「ライブが終わってから美味い酒飲もうよ」と、会場内での飲酒やアルコール類の持ち込みを全面禁止とすることにした。「その辺りからお客さんに女性も増えてきて、今ようやく男5.5、女4.5くらいになりました。ありがとうございます!」と最後は感謝で締め括っていたが、ソロデビューからの“成り上がり”の裏に今日では当たり前となった「日本のロック」定着のための闘争史がある。カッコ良すぎる楽曲、ステージングと同様にこうした先見の明やファンへの気遣い、そして常にロックに対して誠実であり続けるその姿に人は惚れ込み、憧れ続けるのだろう。
次のページ



