映画『ミーツ・ザ・ワールド』での出会いや日々の素顔に迫る
杉咲花と南琴奈はどうして惹かれ合った?正反対の2人に共通する“運命の導き方”
2025.10.27 18:00
2025.10.27 18:00
「あなたのため」は結局自分のためだと思う
──自己評価の低い由嘉里はつい自分を下げるような言い方をしちゃって。それに対してライが「無駄に自分のこと貶めるような言い方しないほうがいいよ」と言うシーンがすごくドキッとしました。お二人にも、つい自分を下げるような言い方をしちゃうときってありますか。
杉咲 ありますね。自分で自分のことを肯定できる瞬間が少ないので、由嘉里がああいう言い方をしてしまうのもちょっぴりわかります。
──自己肯定感が低めだと、この仕事をしているとつらくなるときがありませんか。
杉咲 もともと気にしいなんです。特に忙しかった昨年は、気付けば他者の評価を求めてしまっている自分がいて。ですがそうして承認されることで自分の心を満たしていると、どんどん中毒みたいになってしまう。そんな恐怖も味わったからこそ、今は自分で自分を満たせるように心がけたいなと思っています。

──セルフケアとして意識していることはありますか。
杉咲 以前はスケジュールがハードだったりすると、朝は家を出る20分前に起きて、歯を磨いてシャワーを浴びるだけみたいな感じでした。まずはそういう生活態度を改めようと思って。1〜2時間前に起きて、朝ごはんをつくって、ぬか漬けを混ぜて、食器も洗って、洗濯物もする。で、ちょっとテレビとかを観てから家を出るというふうにしてみたら、それだけで満足度が全然違って。自分の生活空間を整えるということを今は大切にしています。
南 私は逆に自分を肯定しすぎて、「今の言い方、よくなかったな」って後で反省することがあります(笑)。
杉咲 ちゃんと自分を肯定できてるんだ。めっちゃいいじゃん! カッコいいよ。
南 両親のおかげです(笑)。でも、その場のノリとかで言ってしまって、「別にこれは言わなくてよかったな」ってなることが結構あるので、そこはちょっと反省です。

──じゃあ、そんな南さんのセルフケア術というと……。
南 どうなんだろう。わりと自然にセルフケアできているかも(笑)。
杉咲 あはは。本当にすごいよね、真逆だ(笑)。この底抜けのポジティブさに眩しさを感じて、引っ張ってもらったところがたくさんありました。
──たとえば、南さんはお芝居がうまくできなくて落ち込んだ日とか、家でどう過ごすんですか。
南 落ち込む……。
杉咲 そもそも落ち込まない?
南 落ち込むんですけど、でもどれだけ落ち込んでももう戻れないじゃないですか。その時間があるなら明日の準備をしたほうがいいかなって切り替えます。
杉咲 潔い。
南 引きずって次の日も失敗しちゃったら、落ち込むところまで落ち込んじゃうので。切り替えは大事だなって思っています。
杉咲 そうだね。
──お話を聞いていると、杉咲さんと南さんは正反対の性格のように見えます。由嘉里とライも一見すると接点がないように見えますが、二人はお互いの何に救われたんでしょうね。
杉咲 そうなんですよ。私もそこはなんだったんだろうって考えていて。どうしてライさんはあのとき由嘉里に声をかけてくれたんだろうね。
南 無意識的に引っかかるものがあったのかな。気になるというか、興味が湧くというか。
杉咲 でも新宿を歩いてるとさ、由嘉里みたいな状態になっている人ってそんなに珍しくないじゃん? その中で、どうして由嘉里だったんだろう。
南 どうなんだろう。最初は由嘉里だからということは全然関係なくて。その日はそういう気分だったとか、それだけなのかもしれない。わからないですね。

©金原ひとみ/集英社・映画「ミーツ・ザ・ワールド」製作委員会
──おっしゃる通り、作品の中でライの気持ちはというのは明確に描かれていません。たとえば、希死念慮を抱えるライに向けて、由嘉里は悲しいから死んでほしくないと言うんですけど、それに対しライは「私以外のために、私は生き続けなきゃいけないの?」と返します。もしお二人が友達にそう言われたら、どんな言葉をつなぎますか。
南 なんか納得しちゃう自分がいて。確かに、って思っちゃう。だから、何も言えないかもしれないです。
杉咲 私がこの作品のオファーをいただいたのは3年前で。そのときは由嘉里という人物になんだか共振したんですね。ですがこの3年の間に世の中が変わって、さまざまな人や作品と出会う中で、自分の死生観にも変化が生まれて。私が見えている世界の中でその人をどう捉えているか、どう思っているかに言葉を尽くせたとしても、こうしてほしいんだって相手を自分の思うようにコントロールしてしまいかねない言葉は、簡単には言えないかもしれないと考えるようになってきました。
南 花ちゃんの言う通りで、私がその人に抱いている気持ちは伝えられるかもしれないけど、その気持ちを理由にその人に選択を押しつけるようなことはできない。ちょっと残酷かもしれないですけど、何を選ぶかはその人自身だから。そこに自分が立ち入るのは、ちょっと違うのかなって。
──まさにお二人のおっしゃっていることが、この作品の柱の一つのような気がして。結局、誰かのために何かをしたいなんて、善良のようで、すごくエゴイスティックでもあるじゃないですか。でも遠慮して踏み込まずにいたせいで、その人を孤独にしてしまう可能性だってある。人とどの距離で接するのが適切なのか、ものすごく考えさせられました。
杉咲 どうしたらいいんだろうね。それがわかったらずっとうまく生きられるんでしょうけど。
南 正解がないからね、こういうのって。
杉咲 誰かのために、かあ。
南 確かにエゴって言われたらエゴだと思うんです。でも、エゴじゃないって言われたらエゴじゃないんじゃないかなとも思っていて。
杉咲 あなたのために何かをしてあげるって、結局は自分のためですよね。でもそれが必ずしも良くないことだとは思わなくて。それってつまり自分はどうしたいかということだと思うから。“私が声をかけたいと思ったから、声をかけた。”ただ、それだけのことだと思うんです。自分に主語を置いて、その結果も、自分で受け止めたらよい気がする。

──そもそも他人のテリトリーにわりと踏み込めんでいけるタイプですか。それともパーソナルスペースは広いほうですか。
南 私自身は特にそんなに人のプライベートなところに踏み込みたいとは思わないですけど、でも踏み込めと言われたら踏み込めます。
杉咲 そこが琴奈の不思議なところなんですよね。人との接し方がシームレスというか。他者に興味がないわけではないけど、必要以上に深入りもしない。心地のいい距離感で近づいてくれる。その琴奈のペースに救われる人はきっとたくさんいると思うし、私はそんな琴奈と過ごす時間が大好きでした。
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